差別をなくそう。
 この言葉がなぜか小学生のころから苦手なぬりかべだった。差別というものがよく分からなかった。誰が不幸になるのか実感がわかなかった。

 ただ、クラスに顔に痣のある女の子がいて、そのことを何かにつけクラスの悪ガキにからかわれていたので、それを見てあれが差別なのかなぁと思っていたぐらいだった。

 ある日のこと。道徳教育の授業中だった。
 若い男の先生が担任で、「なにか身近に差別だと思えることがあれば言ってみなさい」というので、ぬりかべは、「あれは差別じゃないのかなぁ」と言ってしまった。女の子を助けたいという気も、悪ガキをやっつけてやろうという気もサラサラなかった。ただ好奇心でしゃべってみただけである。

「うん!それは差別だ」
 ギターを昼休みに弾いて聞かせるのが大好きな熱血先生である。我が意を得たりとばかり力強くうなずいた。ぬりかべは嫌な予感がした。
「●くん、立ちなさい」
 悪ガキだけが立たされた。早速とばかり、クラスメイトの前で事情聴取が開始された。道徳教育の時間は一転して、悪ガキの反省と告白の場と化した。お通夜のような状態になってしまった。
「ごめんなさい。悪いと思っているんです…」
 日頃からの横柄な態度はすっかりなりを潜め、明らかに青冷めていた。泣き出しそうでもあった。一方、女の子はそこまで責めなくてもとオロオロとしていた。優しい本当にいい子であった。ぬりかべは、事の成り行きをワクワクしながら見守っていた。

 そして、期待どおり、熱血先生は実に容赦がなかった。
「よし、右から一人ずつ感想を言ってみろ」
 クラスメイト全員からコメントをとったのである。コメントは、回数を重ねるにつけ表現がエスカレートしていった。終わりの方ではぬりかべでさえ聞くに堪えないものとなっていた。
「本当に信じられません。●くんを見損ないました。そばにいてもらいたくありません。隣のクラスに行って、もう帰ってこなくていいです…」

 ぬりかべは、悪ガキの運命に同情しながら、その時悟ったのである。
それは、人を差別してはいけないという単純なことではない。
 なぜなら、先生が悪ガキに行ったのは、明らかな差別だったと思うからである。差別してはいけない、という先生が悪ガキを差別した。
 だから、ぬりかべが導き出した結論はこうだった。

 世の中には、しては良くない差別と、しても良い差別がある。

 先生がしたのは、きっとしても良い差別の方だったのだろう。人を不当に差別する悪ガキのような人間は、差別されてしかるべきだったのだ。
 人を傷つけたりすれば刑務所に収監され自由が奪われる。ともすれば死刑になって殺されてしまう。これは差別ではないのか。自由と生命を奪われるわけだから差別に決まっているとぬりかべは思う。だが、これはしても良い差別なのだ。少なくとも日本の国会がそう決めているからそうなのだ。
 社会の秩序を保つために行わなければならない差別は、しても良い差別になる。小学生のぬりかべには驚愕するような真理だった。(続く)

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