学生の頃に一人暮らしをしていた時、地震があった。
大きなものではない。少々いつもより揺れたかなという程度で、当然私も特にあわてるでもなく、その時はテレビを見ていたと思う。

ところが、これに驚いたのが隣の県にいた私の父親。

その晩、電話がかかってきた。

地震を心配した内容で、「その」言葉が出るまでは私も普通にめんどくさげ(笑)に対応していたのだが・・・

「揺れたけど大丈夫か?」
「うん」
「気をつけなさいよ」
「・・・うん(災害には気をつけようがないよねえ;)」

「揺れるからって、驚きすぎて三階から飛び降りるなよ」

「・・・・」

・・・・確かに、アパートの三階に住んではいた。

だからって・・・・

「飛び降りる訳ないでしょーがっっ!!!!」

私の悲痛な叫びは、部屋に遊びに来ていた友達連の心を見事なまでに鷲掴み(遠い目)。
その後、内容を話して大いに笑われたのは言うまでもないでしょう。ははは;;

父が何を思って言ったかは当然分る。
ひたすらに心配性なのだ。

そして、それは二十歳を曲がりきった今の私に対しても変わらなく・・・。いや、(親が)年を取っただけに余計に言葉が多くなったかな?

きっとよく言うように、親にとっては、娘はいつまでも娘で。いつまでも頼りない存在なんだろう。

そして、私もそう見せないようにする努力を怠っていたのだと思う。

いつまでも娘離れが出来ない親だよ。と、クサッていた私だが、結局私も親離れができていないのだ。

そして、

優しすぎる言葉を浴びせられ続けてきた反動というのは言い訳だろうが、私から優しい言葉を返せたことはあまりない。

それは、今現在も続いている。

長年培われてきた関係を変えるのは難しく、年をとるなかで変わっていければと時々努力をしてみる。

どうしてもうっとおしいと思ってしまいがちな、その言葉を発した人の心を慮ってみる。

今日も生返事で応える変わらない日々ではあるが、そこで見えてきたものは、気付くのがいつでも遅い私にとっての最近の大きな収穫だ。

貰う言葉は、私が一番見習うべき、尊敬できる心だった。

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