想像力 担当:もぞ

2004年12月22日
想像力。
私にはこれが著しく欠けている。
学生時代、国語は得意中の得意であったから、まさか自分がこれ程までに想像力が欠如しているだなんて思いも寄らなかった。
「作文」は苦手だが「小論文」は得意。
自分の感動を人に伝える能力は乏しいが、何があったか時系列に伝えることは大好き。むしろ時系列でないと伝えられない(おいおい)。
今から思い返せば、確かに私には想像力をないがしろにしてきた傾向にあった。

例えば、詩歌なら与謝蕪村系統以外は読解不能。かの有名な室生犀星の「小景異情(その二)」は授業を受けるまで作品の良さ・深さが欠片も理解出来なかった。
小説なら、夏目漱石の「こころ」の先生からの手紙は授業を受けるまでただの「手紙」としか感じられなかった。むしろ森鴎外の「高瀬舟」の方がリアルで好きだった。
百人一首でも恋の歌なら「忍ぶれど色に出でにけりわが戀(こい)は 物や思ふと 人の問ふまで」とか現代語でも分かりやすい歌は好きでしたが、「忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の をしくもあるかな」という業の入った歌は授業で解説を受けるまで面白さが分からなかった。
学校の授業は為にならない、よろしくない、押しつけだ、という意見もあるでしょうが、私にとっては国語の授業がなければ潤いのない日常を送る可能性が高かったので、学校教育には感謝しています。

話がそれましたが。
大学に入って、いわゆる国語の授業がなくなってから、私の生活はカラカラに乾きはじめたワケですよ。
大学の貴重な時間で読んだ小説は2冊くらい、それも新聞連載のものだった。
時間はあったのでテレビドラマのチェックは怠りませんでしたが、今もしっかり覚えている作品となるとごくわずか。
映画はデート以外で自発的に見に行った作品は1本、それも鬼平犯科帳の劇場版。
――想像力の翼を広げるのに役立たない生活を送っていたんですよね…そして、それが不都合だと思ったこともなかったわけで。
いや、むしろ。
想像力の発達した方々を「妄想癖の強い人」と笑っていた自分がおりまして。
例えばぬりかべとか。
ヤツの妄想力の凄さは誰もが認める所だったしね。
そういう心持ちでいた私が、まさか想像力欠如を嘆くことになろうとは思いもしなかったわけです。…そりゃ想像力がないからさ。

ところで。
私の好きな本の分野に「医学」関連、「殺人事件分析」関連、「時代物」関連、「推理小説」関連、というのがあるのですが、実はこれが好きなのは、多分私に想像力がないからじゃないかなぁと思ったりしています。
血がプシューとかドバーとか腕が飛んだり首が飛んだりする描写を読んでも気持ち悪く感じないので。
「怖い話」関連は嫌いなのですが、理由は怖さが想像出来ないから…映像や漫画にして貰えば好きなんですけど…
音声だけの話も苦手で、朗読劇やドラマCDを聞いていると途中で意味が分からなくなってしまいます。多分別のことに気を取られてしまうからでしょうが。

ぽんたは当初、オリジナルとブックレビューのサイト、という位置づけをしていました。
オリジナルをぬりかべ、レビューをにら、そして管理人が私。
――管理人である理由が無趣味だったから、というのは、つまりは私が何かをアウトプット出来る人間ではない、蓄積がない、ということに他なりません。
いや、無趣味だけど、想像力もないけど、面と向かってそれを指摘されるのは…くやしい。
一念発起でイラストを描く練習を始め、ガンパレファンサイト様の所で世界観に浸り、どうやら「捏造」と「想像」と「妄想」は似ているぞ、ということに気付き、今に至ってます。
まだまだ発展途上ではありますが、想像力が養われるといいなぁ。

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