変わりゆくもの 担当:サホ
2004年12月30日年を取ると味覚が変わったり、肌も曲がってきたり(泣)そして、よく、涙もろくなると言いますよね。
以前の私は全然泣けない子でした。いえ、泣きはするのですが、それは大抵、ケンカして悔し泣きとか、そういう涙が多くて(苦笑)何か見たり読んだりして、感動のあまり泣くとか、そういうことは滅多になかったのです。誰かが病死する物語などは、まだ少しは泣けましたが、例えば『火垂るの墓』みたいな戦争モノは全然ダメ。可哀想には思うのですけど、戦災に遭うのは、あの兄妹だけではないし…と思ってしまう辺りが。。。
「以前」ということは、つまり現在は違うということ。
自分でも驚くほど、いつの間にやら涙腺がゆるゆるになってしまいました。死にネタは言うに及ばずですが、夏のアテネ五輪の時なんかも何度もうるっときてましたし、それこそ『ハウルの動く城』でもいろんな場面で目を潤ませてましたしね(笑)最近では『となりのトトロ』なんかでも泣けるくらいです。
年を取って涙もろくなるというのは、実は私、子供の頃はお年寄りが体力の衰えとともに心弱くなっての現象なのだろうと思っていたのです。そういうこともあるでしょうけど、最近では積んできた経験によるものかなぁと思うようになりました。それは感受性を磨くというより、心の琴線を増やしてゆくようなもの? 実際経験したことがあるのとないのでは、感じ方もまた違ってきますものね。その思い出が喚起されたりとかして。
そうはいっても、たとえ、どれほど長生きたとしても、すべてのことを経験出来るわけではなくて。そういう時こそ想像力の出番であり、その作用が感受性を磨くのかな、なんて思ってみたり。
生きている限り、人は刻一刻と時を過ごしているわけですものね。確実に、昨日より今日、同じ今日でも、一秒前よりは今この瞬間にも、また人生を積み上げていて…。
過去に縛られ過ぎる必要はないでしょうけど、それがたとえ自分には未体験のことでも、それまでに積んできた別の経験から分析してみたり、それすら役に立てられそうになければ、分からないなりにも、それを思い遣ったり推し量ったり。そういう努力が大切であり、そうすることで一層、心も豊かに成長させられるかなぁ……と、そんなことを何となく、不意に感じる今日この頃です。
もっとも、別に泣けるようになったからといって、必ずしも心が豊かだとか、自分が成長したという証にもはならないですけど;
泣くことで、悲劇のヒロインぶって陶酔したいだけかもしれませんし(苦笑)泣くという行為でカタルシスが得られるとも言いますしね。
ただ、こうして、昔とすこ〜し変わった自分を振り返ってみると、私もそれなりに人生を歩んできてるのかなぁ、なんて、ちょっぴり感慨深いような気になったり(笑)
実はずっと、悔し泣き系以外では、あまり泣けない自分が、何だかとっても感性の片寄った女みたいでイヤだったんですよねぇ(苦笑)
けど、涙もろくなると、それはそれで問題が。特に映画館で。先日のハウルの時もそりゃあ大変でした。なぜなら、泣いてパンダ目になるワケにはいかないのです。なので、やたら瞬きしてみたり、涙がこぼれないように目にぐっと力を込めてみたりと、それはもう必死! 最初から泣くことを想定出来ていたなら、それなりの顔を作って出掛けたんですけどね〜(笑)
近頃ではお涙頂戴モノと分かっている作品は、レンタルして家でティッシュと仲良く鑑賞です(笑)
ああ、でも思えば、一体いつからすっぴんじゃ外に出たくなくなったのでしょうねぇ……
しわの数も人生の勲章の如く誇れるくらいになるのが、私のちょっとした憧れの生き方なのですけど、でもでも、やっぱり、少しでも若い肌を保ちたいと足掻かずにはいられなかったりとか。むー。
こういう無駄かもしれない努力をしたくなるのも、これまた、昔じゃ有り得なかった時の流れの中での変化ですね(笑)
以前の私は全然泣けない子でした。いえ、泣きはするのですが、それは大抵、ケンカして悔し泣きとか、そういう涙が多くて(苦笑)何か見たり読んだりして、感動のあまり泣くとか、そういうことは滅多になかったのです。誰かが病死する物語などは、まだ少しは泣けましたが、例えば『火垂るの墓』みたいな戦争モノは全然ダメ。可哀想には思うのですけど、戦災に遭うのは、あの兄妹だけではないし…と思ってしまう辺りが。。。
「以前」ということは、つまり現在は違うということ。
自分でも驚くほど、いつの間にやら涙腺がゆるゆるになってしまいました。死にネタは言うに及ばずですが、夏のアテネ五輪の時なんかも何度もうるっときてましたし、それこそ『ハウルの動く城』でもいろんな場面で目を潤ませてましたしね(笑)最近では『となりのトトロ』なんかでも泣けるくらいです。
年を取って涙もろくなるというのは、実は私、子供の頃はお年寄りが体力の衰えとともに心弱くなっての現象なのだろうと思っていたのです。そういうこともあるでしょうけど、最近では積んできた経験によるものかなぁと思うようになりました。それは感受性を磨くというより、心の琴線を増やしてゆくようなもの? 実際経験したことがあるのとないのでは、感じ方もまた違ってきますものね。その思い出が喚起されたりとかして。
そうはいっても、たとえ、どれほど長生きたとしても、すべてのことを経験出来るわけではなくて。そういう時こそ想像力の出番であり、その作用が感受性を磨くのかな、なんて思ってみたり。
生きている限り、人は刻一刻と時を過ごしているわけですものね。確実に、昨日より今日、同じ今日でも、一秒前よりは今この瞬間にも、また人生を積み上げていて…。
過去に縛られ過ぎる必要はないでしょうけど、それがたとえ自分には未体験のことでも、それまでに積んできた別の経験から分析してみたり、それすら役に立てられそうになければ、分からないなりにも、それを思い遣ったり推し量ったり。そういう努力が大切であり、そうすることで一層、心も豊かに成長させられるかなぁ……と、そんなことを何となく、不意に感じる今日この頃です。
もっとも、別に泣けるようになったからといって、必ずしも心が豊かだとか、自分が成長したという証にもはならないですけど;
泣くことで、悲劇のヒロインぶって陶酔したいだけかもしれませんし(苦笑)泣くという行為でカタルシスが得られるとも言いますしね。
ただ、こうして、昔とすこ〜し変わった自分を振り返ってみると、私もそれなりに人生を歩んできてるのかなぁ、なんて、ちょっぴり感慨深いような気になったり(笑)
実はずっと、悔し泣き系以外では、あまり泣けない自分が、何だかとっても感性の片寄った女みたいでイヤだったんですよねぇ(苦笑)
けど、涙もろくなると、それはそれで問題が。特に映画館で。先日のハウルの時もそりゃあ大変でした。なぜなら、泣いてパンダ目になるワケにはいかないのです。なので、やたら瞬きしてみたり、涙がこぼれないように目にぐっと力を込めてみたりと、それはもう必死! 最初から泣くことを想定出来ていたなら、それなりの顔を作って出掛けたんですけどね〜(笑)
近頃ではお涙頂戴モノと分かっている作品は、レンタルして家でティッシュと仲良く鑑賞です(笑)
ああ、でも思えば、一体いつからすっぴんじゃ外に出たくなくなったのでしょうねぇ……
しわの数も人生の勲章の如く誇れるくらいになるのが、私のちょっとした憧れの生き方なのですけど、でもでも、やっぱり、少しでも若い肌を保ちたいと足掻かずにはいられなかったりとか。むー。
こういう無駄かもしれない努力をしたくなるのも、これまた、昔じゃ有り得なかった時の流れの中での変化ですね(笑)
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