ナンジャモンジャ2 担当:ぬりかべ
2005年1月9日 ――あなたは、登場人物のなかで誰が一番「悪い」と思う?
それぞれ主観を徹底させれば、価値観に基づき一番「悪い」人間が特定される。人によって意見は違うだろう。一方、ある程度の客観性を手放さなければ、善悪の判断は立場によって違うという意見も出てくるのではないかと思う。
実は元々、「ナンジャモンジャ」は、ユキワタシの国際情勢の見方を再構築してもらおうという意図の元に、ぬりかべが即興で話してみた内容だった。
ユキワタシの主張は、マスコミが垂れ流す情報と同じく、最も悪い部分が矛盾している。
――アメリカに追従しなくても、日本は資源加工国でいられるんだ。
それが、そうはいかない。追従しないことは簡単に出来ても、貴重な資源の獲得は一筋縄ではいかないからだ。いくらお金を積み上げても資源は一定量以上買えない。「ナンジャモンジャ」のテーマの一つはそれだった。資源国は、国内問題や隣国との関係を気づかって、遠方の国に大量の資源を売却したりはしないものなのだ。
現在、日本に大量の資源が流入しているのは、日本が資金を持っていて優れた加工技術を持っているからではなくて、アメリカの軍事力の傘があるからだ。そういう現状を考えれば「悪いアメリカに追従しなくても日本は正義を貫ける」と言う意見はそう簡単なことではないような気がする。
日本は弱い。生き物に例えると、日本は本当にデリケートな生き物だ。ヒトは30種類以上の食物を食べるべきだとされているが、日本という国はそれ以上の種類の資源をしかも大量に食べ続けなければ生きることができない。食糧を止められれば、石油が入ってこなくなれば、銅を、金を、日本という国は死ぬか極端に衰弱してしまうだろう。
アメリカが軍事力で恫喝してくれるから――、日本が必要とする資源を配分してくれるから――、一億二千万人もの人口が飢えることなく豊かに繁栄することができている。
もし、アメリカの軍事力を否定するならば、日本独力の外交力もしくは軍事力によって、資源を供給出来る拠点を抑えなければならなくなる。つい半世紀前まで日本はそれを実践していたわけだ…。
そういう面がある、ということ。一面に過ぎない。一面に過ぎないが虚実ではない。
さて、小難しい国際問題はここまでにして。
そこらへんで思ったわけだけど――話題は変わるけど
人間を生かすための資源って何だろうね?
動物を生かすのに一片の肉があればいい。
与えれば、動物は少なくとも一日は生きていける。
これは真理だ。しかし、人間はそうはいかないのだね。
肉体は生存できるかもしれないが、それで人間が真に生きているとは言えないから。人間が生きていく為には食糧以外の何かが絶対に必要ということになる。
――それは何だろう?
多分、人によって違う。
財産か? 権力か? それとも愛か? 才能の煌めきか?
当たり前のことだけど、この世に求めるべきものは、人によって違う。
――あなたはこの世で何を食べて生きているのだろう?
何をどのくらい食べていれば自分は生きていけるのか、ぼんやりとでも分かっていることは、非常に重要なことだと思う。
言い換えれば、自分が何のために生きているのか、理解しておくことだから。裏返して言えば、何のために死ねるのか、覚悟しておくことだから。
それが出来ていなければ、この世の何かに飼われてしまうことになるのではないかと思ってしまう。または、死ぬまで戦い続けなければならなくなるのではないかと思ってしまう。
――あなたは誰のために生き、何のために死ねるのだろう?
自分の力で肉を獲れない動物が、肉を与えられれば尻尾を振るのは当たり前のことで、安定して餌をくれる者の支配下に入るのは、生き抜いていくための自然の掟だ。それが秩序というものだ。
――人間も自分が何のために生きているのかを理解していなかったら
不安に苛まれ、他人から安定して与えられるものを求め、それに満足し安住してしまうだろう。または、手に入らぬ幸福を求め、あてどない戦いと略奪の人生を送ることになるだろう。
――それを避けるには
自分が食べなければならないなにかを漠然とでいいから認識し、もしそれが、他人との競争によってしか得られないものだったり、不当な手段にでも訴えなければ到底得られないものだったり、言ってしまえば、貴方に好意を持つ他人を傷つけなければ得られないものだったら、スッパリとあきらめてしまうことだろうね。
死ねということではない。
そんなことで生きている喜びを見いだすなよ、ということ。
長い時間をかけて、もっと違う何か、他人から奪わなくても得られる、固定的で、時間が経っても失われない何かを見つけるべきだと思う。
戦争はとっても悲しいことなのだから。
――あなたは誰のために生き、何のために死ねますか?
それぞれ主観を徹底させれば、価値観に基づき一番「悪い」人間が特定される。人によって意見は違うだろう。一方、ある程度の客観性を手放さなければ、善悪の判断は立場によって違うという意見も出てくるのではないかと思う。
実は元々、「ナンジャモンジャ」は、ユキワタシの国際情勢の見方を再構築してもらおうという意図の元に、ぬりかべが即興で話してみた内容だった。
ユキワタシの主張は、マスコミが垂れ流す情報と同じく、最も悪い部分が矛盾している。
――アメリカに追従しなくても、日本は資源加工国でいられるんだ。
それが、そうはいかない。追従しないことは簡単に出来ても、貴重な資源の獲得は一筋縄ではいかないからだ。いくらお金を積み上げても資源は一定量以上買えない。「ナンジャモンジャ」のテーマの一つはそれだった。資源国は、国内問題や隣国との関係を気づかって、遠方の国に大量の資源を売却したりはしないものなのだ。
現在、日本に大量の資源が流入しているのは、日本が資金を持っていて優れた加工技術を持っているからではなくて、アメリカの軍事力の傘があるからだ。そういう現状を考えれば「悪いアメリカに追従しなくても日本は正義を貫ける」と言う意見はそう簡単なことではないような気がする。
日本は弱い。生き物に例えると、日本は本当にデリケートな生き物だ。ヒトは30種類以上の食物を食べるべきだとされているが、日本という国はそれ以上の種類の資源をしかも大量に食べ続けなければ生きることができない。食糧を止められれば、石油が入ってこなくなれば、銅を、金を、日本という国は死ぬか極端に衰弱してしまうだろう。
アメリカが軍事力で恫喝してくれるから――、日本が必要とする資源を配分してくれるから――、一億二千万人もの人口が飢えることなく豊かに繁栄することができている。
もし、アメリカの軍事力を否定するならば、日本独力の外交力もしくは軍事力によって、資源を供給出来る拠点を抑えなければならなくなる。つい半世紀前まで日本はそれを実践していたわけだ…。
そういう面がある、ということ。一面に過ぎない。一面に過ぎないが虚実ではない。
さて、小難しい国際問題はここまでにして。
そこらへんで思ったわけだけど――話題は変わるけど
人間を生かすための資源って何だろうね?
動物を生かすのに一片の肉があればいい。
与えれば、動物は少なくとも一日は生きていける。
これは真理だ。しかし、人間はそうはいかないのだね。
肉体は生存できるかもしれないが、それで人間が真に生きているとは言えないから。人間が生きていく為には食糧以外の何かが絶対に必要ということになる。
――それは何だろう?
多分、人によって違う。
財産か? 権力か? それとも愛か? 才能の煌めきか?
当たり前のことだけど、この世に求めるべきものは、人によって違う。
――あなたはこの世で何を食べて生きているのだろう?
何をどのくらい食べていれば自分は生きていけるのか、ぼんやりとでも分かっていることは、非常に重要なことだと思う。
言い換えれば、自分が何のために生きているのか、理解しておくことだから。裏返して言えば、何のために死ねるのか、覚悟しておくことだから。
それが出来ていなければ、この世の何かに飼われてしまうことになるのではないかと思ってしまう。または、死ぬまで戦い続けなければならなくなるのではないかと思ってしまう。
――あなたは誰のために生き、何のために死ねるのだろう?
自分の力で肉を獲れない動物が、肉を与えられれば尻尾を振るのは当たり前のことで、安定して餌をくれる者の支配下に入るのは、生き抜いていくための自然の掟だ。それが秩序というものだ。
――人間も自分が何のために生きているのかを理解していなかったら
不安に苛まれ、他人から安定して与えられるものを求め、それに満足し安住してしまうだろう。または、手に入らぬ幸福を求め、あてどない戦いと略奪の人生を送ることになるだろう。
――それを避けるには
自分が食べなければならないなにかを漠然とでいいから認識し、もしそれが、他人との競争によってしか得られないものだったり、不当な手段にでも訴えなければ到底得られないものだったり、言ってしまえば、貴方に好意を持つ他人を傷つけなければ得られないものだったら、スッパリとあきらめてしまうことだろうね。
死ねということではない。
そんなことで生きている喜びを見いだすなよ、ということ。
長い時間をかけて、もっと違う何か、他人から奪わなくても得られる、固定的で、時間が経っても失われない何かを見つけるべきだと思う。
戦争はとっても悲しいことなのだから。
――あなたは誰のために生き、何のために死ねますか?
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