自戒 担当:もぞ

2005年1月22日
例えば貴方が不利益を被った「被害者」だとしよう。
それは単純にお金に変えられる被害ではなくて、加害者が容易に弁償出来るというものではないとする。
貴方はどのようにして、その被害から回復すれば良いのだろうか。

心の中は怒りと哀しみで溢れているだろう。
加害者を恨む気持ちに悩まされる日々を過ごすだろう。
「いつまで被害者ぶっているのだ」と心ない言葉を突きつけられて苦しむこともあるだろう。

だけれども。
突然のスーパーマンが出現して、貴方を被害から救い出してくれることはない。
やはり自分で立ち上がるしか道はないのだ。

もちろん手助けしてくれる第三者は存在する。
それは友人や家族という身近な人物であったり、裁判所や行政という組織だったり。
そういうものを利用して、私たちは自分の足で回復への一歩を踏み出すことを求められるのだ。

心が完全に回復しないことを理解しつつ、自分が受けた被害と向き合って金銭なり待遇なりで折り合いをつける人もいるだろう。
思想を軸に加害者を許すことで心の安寧を手に入れようとする人もいるだろう。
何にせよ、その道程は厳しいもので自分との戦いを強いられる。

加害者への恨みを消せない人だって存在する。
恨んで朽ちてしまう人もいる。
私たちは日頃から手助けをしてくれる組織の存在を知ることが大切なのではないかと思う。
問題は。
その恨みを飼い慣らすことが出来ず、加害者を取り巻く全ての者が平穏でいられなくなるように手を尽くす人がいるということだ。
被害を受けたことは事実だから、誰もが被害者である貴方に同情を寄せるだろう。
だからといって、同情してくれた人が貴方の人格に好意を持っているのだと信じるのは早計だ。
与えられる同情や同意に慢心して、貴方が加害者本人だけでなく、その人の家族や仕事を攻撃したとき、貴方は被害からの回復に向けた足場を失うことになる。

例えば貴方が加害者らのプライバシーを公開したとして。
加害者らが世間からの悪意を一斉に受けたとして。

貴方はその瞬間、とても幸せな気持ちになれるに違いない。
とても救われた気持ちになるだろうけれど。
貴方がそうやって陶酔しているその時に、貴方の大切な周りの人たちは複雑な感情を抱くのではないだろうか。
身近な誰かを苦しめてまで得られる幸福を果たして貴方は求めているのか。
そこまで行動出来る貴方は自分の足で歩けるはずだ。

貴方を救うのは貴方自身で。
その道筋は一つではない。

コメント