捕らわれし者 担当:ぬりかべ
2005年3月6日一言コメント:モゾが「遙か3」をやっているのを見て、ふと思った。リズヴァーン先生は、自分の後継者を定めたりするのだろうかと。
リズ先生「九郎…。わたしも迎えの時が来たようだ」
九郎義経「そんな! 先生、しっかりして下さい」
リズ先生「ついては、お前にわたしの後を継いでもらいたい」
九郎義経「はい、どうすればいいんでしょう?」
リズ先生「なに難しいことじゃない。お前の剣の腕は充分だ。だから後は、わたしと同じ格好をしてくれるだけでいいんだ」
九郎義経「先生と同じ格好? そ、そのどこで調達してきたか分からない出所不明の黒装束と、悪趣味で意味不明のマスクですか?」
リズ先生「嫌か?」
九郎義経「はい。絶対に嫌です」
以上。
義経は登場人物のなかで、かなりマトモな方だと思うので、素でこんな感じかもしれないとか。
なお、リズヴァーン先生の息を引き取る前の最後の言葉は「セカーイニンジャ」だったそうです(嘘)
「捕らわれし者」
若い時分は、絶対的な信念とか方針などはぬりかべの性に合わないものだと思っていた。
絶対はない。絶対と言った瞬間から、世界とのズレが生じる。世界には絶対はなく変化と流転を続けているから、やがて絶対を唱えた人間は間違っていくことになる。自分と離れていく世界を否定し続けなければ生きていけないというのは、自分にも他人にも息苦しい生き方だ。
――そう思っていた。
だから、新興宗教とか思想とか政治とか、視野を狭くするようなものをひどく毛嫌いしていた時期があった。
ところが、最近はそう思わなくなってきたものだから困る。
人間は定命で、結局生きているあいだには間違うことも多々あるのだと、絶対的な信念に拠って立ち、自己満足に浸って生きるのもいいものだ、と。いや、言ってしまえば人間とはそれしかないのだと思うようになってきた。
――これが、すこぶるやばい
こうなると、何でも受容できるようになってきたからだ。
毛嫌いしていた新興宗教、固定的視野の思想、私利私欲の政治まで、そういうものだなと水が大地に染み渡るように受け入れられるようになってしまった。怒りが湧かない。悲しみも起こらない。しかし、感情がなくなってしまったかと言えばそうでもなくて、やたら哀れの感情が際だつことがある。
「強すぎてね、ワールドオーダーになっちゃった」
なんて言ってた御仁がいたが、なんかそんな感じで世の中の趨勢を見据えようという兆しが自分自身に出始めている。はっきり、やばいだろう。ぬりかべ、玖珂晋太郎になってしまうよの図式。
冗談はさておき、このまま自分自身が変化を続けると、2005年3月現在の時分から見ると、非常にいただけないキザったらしい自分に変化を遂げてしまうということが予感できる。これはなるべく食い止めようとすべきだろ?、どうよ? って、ニラとモゾに聞いてみたわけだが――、
「いや、今と変わらんし」
――本当に酷い奴らだ。
いや、ねぇ。
他人事だと思わないで、読んでいる人も考えて欲しいな。
あなたが、あなた自身やだなぁと思うような人間に変貌を遂げようとしているとき、しかもなんだか気持ちよささえ感じているようなとき、あなたはどうすべきだろう? 走って逃げるか? 観念するか?
リズ先生「九郎…。わたしも迎えの時が来たようだ」
九郎義経「そんな! 先生、しっかりして下さい」
リズ先生「ついては、お前にわたしの後を継いでもらいたい」
九郎義経「はい、どうすればいいんでしょう?」
リズ先生「なに難しいことじゃない。お前の剣の腕は充分だ。だから後は、わたしと同じ格好をしてくれるだけでいいんだ」
九郎義経「先生と同じ格好? そ、そのどこで調達してきたか分からない出所不明の黒装束と、悪趣味で意味不明のマスクですか?」
リズ先生「嫌か?」
九郎義経「はい。絶対に嫌です」
以上。
義経は登場人物のなかで、かなりマトモな方だと思うので、素でこんな感じかもしれないとか。
なお、リズヴァーン先生の息を引き取る前の最後の言葉は「セカーイニンジャ」だったそうです(嘘)
「捕らわれし者」
若い時分は、絶対的な信念とか方針などはぬりかべの性に合わないものだと思っていた。
絶対はない。絶対と言った瞬間から、世界とのズレが生じる。世界には絶対はなく変化と流転を続けているから、やがて絶対を唱えた人間は間違っていくことになる。自分と離れていく世界を否定し続けなければ生きていけないというのは、自分にも他人にも息苦しい生き方だ。
――そう思っていた。
だから、新興宗教とか思想とか政治とか、視野を狭くするようなものをひどく毛嫌いしていた時期があった。
ところが、最近はそう思わなくなってきたものだから困る。
人間は定命で、結局生きているあいだには間違うことも多々あるのだと、絶対的な信念に拠って立ち、自己満足に浸って生きるのもいいものだ、と。いや、言ってしまえば人間とはそれしかないのだと思うようになってきた。
――これが、すこぶるやばい
こうなると、何でも受容できるようになってきたからだ。
毛嫌いしていた新興宗教、固定的視野の思想、私利私欲の政治まで、そういうものだなと水が大地に染み渡るように受け入れられるようになってしまった。怒りが湧かない。悲しみも起こらない。しかし、感情がなくなってしまったかと言えばそうでもなくて、やたら哀れの感情が際だつことがある。
「強すぎてね、ワールドオーダーになっちゃった」
なんて言ってた御仁がいたが、なんかそんな感じで世の中の趨勢を見据えようという兆しが自分自身に出始めている。はっきり、やばいだろう。ぬりかべ、玖珂晋太郎になってしまうよの図式。
冗談はさておき、このまま自分自身が変化を続けると、2005年3月現在の時分から見ると、非常にいただけないキザったらしい自分に変化を遂げてしまうということが予感できる。これはなるべく食い止めようとすべきだろ?、どうよ? って、ニラとモゾに聞いてみたわけだが――、
「いや、今と変わらんし」
――本当に酷い奴らだ。
いや、ねぇ。
他人事だと思わないで、読んでいる人も考えて欲しいな。
あなたが、あなた自身やだなぁと思うような人間に変貌を遂げようとしているとき、しかもなんだか気持ちよささえ感じているようなとき、あなたはどうすべきだろう? 走って逃げるか? 観念するか?
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