楽屋裏? 担当:にら
2005年3月9日楽屋裏?の続きです。
そのまま帰るには早かったので、次にO公園に花を見に行くことになりました。思ってたよりずっと広く、バンガローまであったのはびっくり。
この公園も山の上だったので当然寒かったのですが、白梅、アセビ、蝋梅、蕗の薹、つくし、椿等、いろいろな花や木があって気付くと結構な時間散策していました。
中でも特に綺麗だったのが白梅。何か鳥がさえずってるなと思ったら五十雀が枝々を飛び回っていて、のどかな春の風情を楽しめました。
で、今回の「春の雪」に和歌を入れるきっかけとなったのが、ここで見た蝶々みたいな形の黄色の花。季節にはちょっと合わないのですが、母が言うには山吹とのこと。
「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞかなしき」
という歌を口ずさんでくれました。
響きだけ聴くと何か切なそうな感じですよね。
「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑・みの)一つだに なきぞかなしき」
とすると何となく分るでしょうか。
後拾遺和歌集におさめられている和歌で、太田道灌の逸話とともに有名ということですが、私にはその知識が無く、しかも「これは(切な系の)ネタになる」(笑)と思い即座に食いついて意味を母に聞いたのです。
ある日、狩りの途中に雨に降られた道灌が、簑でも借りられないかと近くの農家に訪ねたところ、一人の少女が出てきて黙って山吹の花を差し出した。その真意が分らなかった道灌は憤慨して帰ったが、のちに家臣にその話をすると、八重咲きの山吹の花には実がならないことと、蓑がないことをかけて醍醐天皇の皇子兼明親王が詠んだ古歌(「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞかなしき」)をなぞらえたものではないかと知らされる。
つまり、
「七重八重と咲く山吹が実をひとつもつけないとは悲しいことです」
↓
「お貸しする蓑ひとつなく申し訳ないことです」
という雨具がないことを断る歌なのです。
元は高貴な身分の人が詠んだ歌なので、「蓑ひとつ用意していなくて申し訳ないことです」(親王の別荘で詠まれたものらしい)という軽い意味合いのものではないかと思われますが、少女は「(家の貧しさのあまり)蓑さえありません」という思いを込めて道灌に山吹を差し出したのです。
少女の機知に感銘を受け、逆に己の無教養を恥じた道灌はそれから歌道に励んだという逸話です。
ある意味切ない歌です。・・・そして、身につまされます、ました。。。
ちょっと今までの己を振り返りながら(滝汗)、帰り道。
母が思い立ち、今度は県内でも有名な臥竜梅を見に行くことになりました。
SSに書いたように、臥竜梅は幹が横に傾き龍のように地をはう性質があります。
見に行った先のものも元は一つだった株が繁殖して梅林をつくっていてとても綺麗でした。
きっと昔は中で花見をしていたのでしょうが、残念ながら養生のため梅林の中に入ることはできませんでした。
まあ、そんな訳で、いきあたりばったりだった割には結構濃い一日だったのでした。
ですが、ひとつ気になってるのにきけないのは…
「あの蕗の薹どした?」
ということ。
壬生屋さんはしずしずと蕗の薹を摘んだのでしょうが、うちの母ときたら…
まあ、料理するのがめんどくさくなったんでしょう。
そして「かわりに私が」という気概も料理の腕も持っていない私もだめだめなのは言うまでもなく、なのでした。(せっかく己を振り返ったのにな)
ちなみに、蕗の薹は精力のつく健康食だそうで、タン切り、咳止めの薬効があるそうです。
そのまま帰るには早かったので、次にO公園に花を見に行くことになりました。思ってたよりずっと広く、バンガローまであったのはびっくり。
この公園も山の上だったので当然寒かったのですが、白梅、アセビ、蝋梅、蕗の薹、つくし、椿等、いろいろな花や木があって気付くと結構な時間散策していました。
中でも特に綺麗だったのが白梅。何か鳥がさえずってるなと思ったら五十雀が枝々を飛び回っていて、のどかな春の風情を楽しめました。
で、今回の「春の雪」に和歌を入れるきっかけとなったのが、ここで見た蝶々みたいな形の黄色の花。季節にはちょっと合わないのですが、母が言うには山吹とのこと。
「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞかなしき」
という歌を口ずさんでくれました。
響きだけ聴くと何か切なそうな感じですよね。
「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑・みの)一つだに なきぞかなしき」
とすると何となく分るでしょうか。
後拾遺和歌集におさめられている和歌で、太田道灌の逸話とともに有名ということですが、私にはその知識が無く、しかも「これは(切な系の)ネタになる」(笑)と思い即座に食いついて意味を母に聞いたのです。
ある日、狩りの途中に雨に降られた道灌が、簑でも借りられないかと近くの農家に訪ねたところ、一人の少女が出てきて黙って山吹の花を差し出した。その真意が分らなかった道灌は憤慨して帰ったが、のちに家臣にその話をすると、八重咲きの山吹の花には実がならないことと、蓑がないことをかけて醍醐天皇の皇子兼明親王が詠んだ古歌(「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞかなしき」)をなぞらえたものではないかと知らされる。
つまり、
「七重八重と咲く山吹が実をひとつもつけないとは悲しいことです」
↓
「お貸しする蓑ひとつなく申し訳ないことです」
という雨具がないことを断る歌なのです。
元は高貴な身分の人が詠んだ歌なので、「蓑ひとつ用意していなくて申し訳ないことです」(親王の別荘で詠まれたものらしい)という軽い意味合いのものではないかと思われますが、少女は「(家の貧しさのあまり)蓑さえありません」という思いを込めて道灌に山吹を差し出したのです。
少女の機知に感銘を受け、逆に己の無教養を恥じた道灌はそれから歌道に励んだという逸話です。
ある意味切ない歌です。・・・そして、身につまされます、ました。。。
ちょっと今までの己を振り返りながら(滝汗)、帰り道。
母が思い立ち、今度は県内でも有名な臥竜梅を見に行くことになりました。
SSに書いたように、臥竜梅は幹が横に傾き龍のように地をはう性質があります。
見に行った先のものも元は一つだった株が繁殖して梅林をつくっていてとても綺麗でした。
きっと昔は中で花見をしていたのでしょうが、残念ながら養生のため梅林の中に入ることはできませんでした。
まあ、そんな訳で、いきあたりばったりだった割には結構濃い一日だったのでした。
ですが、ひとつ気になってるのにきけないのは…
「あの蕗の薹どした?」
ということ。
壬生屋さんはしずしずと蕗の薹を摘んだのでしょうが、うちの母ときたら…
まあ、料理するのがめんどくさくなったんでしょう。
そして「かわりに私が」という気概も料理の腕も持っていない私もだめだめなのは言うまでもなく、なのでした。(せっかく己を振り返ったのにな)
ちなみに、蕗の薹は精力のつく健康食だそうで、タン切り、咳止めの薬効があるそうです。
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