いわゆる殺し文句が何だったのかは不明である。
一説によると「このままだと太っちゃうよ」という失礼極まりないセリフを言われたからだとか、結局にらという人物も所詮イベント好きなだけだったからだとか、色々想像されてはいるものの真実は分からない。
ただ、一つの事実として、昨年の1月、彼女はマラソン会場のスタート地点に立っていた。

私とぬりかべは彼女が参加するまでに何度か踏破済みなので、これといった危機感も薄かったわけだけれど、にらの危機感は彼女の両親をも巻き込んで相当なものであったらしい。
当たり前である。
のほほんとしている娘がある日突然「フルマラソンに出るのー♪」とほざけば、どんな親でも心配するに決まっているのだ。事実、私が最初に参加したときは母と大喧嘩になってしまい、関係修復までに生暖かい時間を過ごすはめになったものだ。
あまり丈夫とは言えない彼女が参加するとあっては、彼女の両親の反発も仕方がないことだったろう。

でも彼女はスタート地点に立っていた。
「ほんっとうに、痩せるんでしょうねぇ…?」
ぬりかべを威圧するにら。
彼女に威圧されるはずもないぬりかべはニヤニヤしながら「あれ、もう、効果出てるんじゃない?」と詐欺クサイ台詞を臆面もなく吐いている。
3人の基本方針は「上り坂は走らない」――今以てこの作戦は成功だったのかアウトだったのか量りかねるのだが、トレーニングを積んでいない状態での作戦というモノはそんなものに成り下がる。

その年もサラリーマン姿の青年が参加していた。
その前の年は一人で参加して「仲間はリストラされちゃったんですよー」と沿道の方々と和んでいた彼は、その年二人組で現れた。
こういう変化を毎年楽しめるのも、この大会のいいところだと私は思う。
その他、本物の看護婦さんが、本物の看護婦さんルックで参加してたり。
知っているサークルの人たちの着ぐるみ姿を楽しんだり。
…あいかわらず人間観察には事欠かない空間だ。

そしてスタート。

長い道中、何を3人で語り合ったかは覚えていない。
笑顔を振りまく時間があれば、険悪になる時間もあって、ひたすら喋っていたかと思えば、孤独な世界に浸ったりして。
たかだか8時間のあいだに様々な感情が己の中に入り乱れ、自分以外のメンツに対する怒りや依存と折り合いを付けながら、ひたすらゴールを目指す私たち。
「もうリタイアしてやるっ」
と泣き言をいえば、
「一年間、リタイアしなかった人間の奴隷になる覚悟があるなら、どーぞ♪」
と退路を塞がれ、それがまた険悪な空気を生んでいく。

人間関係を犠牲にしながら(笑)何とかゴールに辿り着いた私たちに、ぬりかべが聞いてきた。
「にら、どうでした? フルマラソン」
「…ふっふっふっ…」
「?」
「思ったよりラクショー?」
「「へぇ、楽勝だったんだ…」」
にらにとってフルマラソンは楽勝で、しかも…
「ちっとも痩せないじゃなぁいっ!」(←一ヶ月後くらいの発言)
そういう代物だったらしい…お気の毒に…

***

人間関係を険悪にさせながらも、何故この大会に参加するのか。
それはゴールの先に「何か」があるような気がするからに他ならない。
実際に何かがあるということは問題ではなく、この大会に参加した後で何かが変わるのだと思い込むことが大切だ。
イベントを成し遂げたという達成感でもいい。
苦痛の道程を乗り越えて人間が大きくなった、という勘違いでもいい。
皆に引かれる存在になった…ネタを提供できる存在になれたということでもいい。
実際、人間というのはそう簡単にかわれる訳でもないし、変わることが一概に良いことだということでもない。
しかし停滞して腐るよりは、嫌われてでも前に進める人でありたいと思っている。
仲の良い人たちと険悪になるのは精神的に厳しいけれど…いや、ほんと、辛いけれど。

それにまぁ。
ネタになるんですな。この話。
おおよそフルマラソンに参加しそうにない人間が参加した、というだけで覚えて貰えるので、色々とラクです。
風変わりだと思われるので、それを利用して新しい人間関係も構築できるし。
私という人間はそれほど強烈でもアクの強さがあるわけでもないので、こういうネタで己を偽装できるのはありがたい。
そういう観点から考えると…
日頃から「あぁ…」な性格のぬりかべさんや、伝説級の逸話を持ちすぎているにら嬢にとって参加するメリットあったのかなぁ、と思ったりするわけだけど。
まぁ、私には楽しいイベントのご紹介、ということで♪

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