一言コメント:危なく、すき焼きなのにニンジンを入れるところだったぜぇ

『そこそこ面白い鉄人28号』

 ロボットアニメの醍醐味は、やはり終盤ロボットが出てきて、ドンガラガッシャーンっとやってしまうところにある。しかし、ロボットが出てきて暴れ回るだけでは駄目駄目。前半、愚かな人間どもが右往左往、人間ドラマに明け暮れて、ああもうどうしよう、解決のしようがないよ、いったいどうしたらいいんだぁ――、などと騒ぎ立てていなければならない。

 先日リメイクされた鉄人28号(もちろんアニメの方)は、そこいらを押さえた造りになっていて、そこそこ面白い。
 人体実験をしていた施設跡などを目の前にして、
 「仕方がなかったんだ。悪いことだとは思っていた。しかし、それが戦争だったんだ」
 と博士が問題を提起すれば、
 「それじゃ、人類の未来はどうなるんです。また同じ過ちを繰り返すんですか」
 少年探偵の正太郎君は、解答を導けずに苦悩する。

 問題は解決しないまま物語はクライマックスを迎え、ついに鉄人28号が登場。施設とか敵ロボットをダイナミックに破壊し始めるが、当たり前だが根本的な問題は全く解決していない。しかし、

 「鉄人、お前は…」

 情緒深い音楽が流れ始め、雄々しく戦う鉄人を見ながら登場人物がおのおの脳内妄想で自分なりの解決を見つけ始めるのだ。理屈はない。しかし――、
 これがいい! ここに爽快感がある。
 論理的な理屈はいらない。というかあってはいけない。問題がそこにあるのなら問題そのものを壊してしまえという超破壊的な発想がそこにある。

 同類の爽快さとしては、「こんな壁があるからいけねぇんだよ」と生徒の部屋の壁を壊し始めるGTOとか、「こんな部屋が…(以下略)」で屋敷ごと蹴り壊すワンピースのルフィーとか、「今からそいつを殴りに行こうか」のチャゲ&飛鳥などが挙げられる。現実世界で行えば、ことごとく犯罪か騒乱になること想像に難くない。

実はこれはロボットアニメの手法というより、ゴジラとかガメラとかの物言わぬ怪獣映画の手法に近いと思う。古い作品から換骨奪胎して、というより鉄人28号自体が古い作品だったわけだが、融合させて新しい作品を作ったわけである。

 そこから考えても、文章作品の作り手側として作品には二つのポイントがあるというのが分かる。

1 どのような材料を用いて文章作品を作り上げるのかということ。
2 読む人にどんなポイントで楽しさを感じてもらうかということ。

 例えば先ほどの怪獣映画だが、面白いとぬりかべが主張するのに、ニラなどは怪獣映画というだけで拒絶をしてしまう。人によって古典小説など読む気もしないというのはこれに近いかもしれない。

 文章作品の作り手側としては、差別なく様々な作品に触れて、「萌え」を探す必要があるのかなぁと思った。

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