自分をばらまくということ 担当:ぬりかべ
2005年5月1日 人がいれば話しかけずにはいられないように、
美しいものを見れば心を動かさずにはいられないように、
人間ってやつは寂しくできていて、絶えず思考したり行動したりして「自分」を認識せずには生きていられない。
「解脱」を遂げた人が言った。
宇宙と繋がれば力強く生きていける、と。
そりゃあ空を見上げて、世界が誕生した悠久の時間を考えれば、人類の歴史や己の苦しみなど、毛ほどの小さいものに感じる時があるかもしれない。
しかし、そうはいかないのだ。
解脱なんか簡単にはいかないし、宇宙と繋がることのできる才能の持ち主はそういない。しかし人間は単独ではいられない。簡単に壊れ、そして死んでしまう。他人から見たらほんの些細なことで、人間は「自分」を失い死に至る。それは大小の差はあれ有史以来変わりはない。
そこで、考えた。
自分をばらまけばいーんじゃないの?
死にたくなければ、というより消滅したくなければ――、宇宙なんか得たいの知れない巨大なものと繋がらなくても、多少まとまったものにリンクすれば、安定する。なかなか死ななくなる。いや、死ねなくなるとでも言うか。
リンク先は人間でいい。人間が駄目なら、それこそサイトでもいいし、バイオリンだって、盆栽だって、石ころを愛したっていいのだ。
何かに繋がれば死ななくなる。「自分」を保つことができるようになる。
あとは椅子は3本足でないと安定しないよ、の法則どおり、足の数を増やすことが不可欠になるだろう。
自分が愚か者だっていい。プライドを捨て殻を捨て、卑劣で愚鈍なひとりの人間であることを覚悟したら、あとはしっかり現実とリンクして「自分」というものをアップデートしていく。現実にどのような形であれ渡りをつけていく。そうすれば少なくとも生きていける。
なるほど、愚かな自分と直面するというリスクは確かにある。それはそれで怖いことだ。だが、いつまでたってもアップデートせずに放ったらかしてしまうことの方が、いかにもリスクは高い。それは現実との隔たりを根拠のない空想で埋めているに過ぎない状態であるからだ。
「お前は変だよ」なんてウイルスを仕込まれたら、ファイアーウォールが働かずに一発ショートして落ち込んでしまい、再起動不可能な状態になってしまうかもしれない。それよりも、いっそ変な自分と手を打って、サイトにリンクするなり石ころに話しかけるなり、しっかり自分の世界を構築して、「そうだね。変だってよく言われる。ハハハ」とできた方がぬりかべ的にはかっこいい。というか、安心して見ていられる。
この世には、生きていくために必要なアップデートの仕方を教えて欲しいと言う人間に溢れているような気がする。彼らの逆鱗に触れるようで申し訳ないが、それは学ぶものではなく、体得しなければならないもので、すでにその待ちの姿勢に入っている段階で泥沼に落ち込んでいる。パソコンなんかより遙かに高度でかつ原始的な生き物が人間なのだから、病気にかかって得る免疫のように、苦しむ覚悟、一歩踏み出す努力がどうしたっている。
とは言っても、現時点で為す術なく困っているわけなので、あんまり言っても大人げないことは重々承知。だけど、手を差し伸べたら勢い込んでつかむぐらいのことでなければ、こちらとしてもどーしょーもない。
追伸 結局、愚痴でした。
美しいものを見れば心を動かさずにはいられないように、
人間ってやつは寂しくできていて、絶えず思考したり行動したりして「自分」を認識せずには生きていられない。
「解脱」を遂げた人が言った。
宇宙と繋がれば力強く生きていける、と。
そりゃあ空を見上げて、世界が誕生した悠久の時間を考えれば、人類の歴史や己の苦しみなど、毛ほどの小さいものに感じる時があるかもしれない。
しかし、そうはいかないのだ。
解脱なんか簡単にはいかないし、宇宙と繋がることのできる才能の持ち主はそういない。しかし人間は単独ではいられない。簡単に壊れ、そして死んでしまう。他人から見たらほんの些細なことで、人間は「自分」を失い死に至る。それは大小の差はあれ有史以来変わりはない。
そこで、考えた。
自分をばらまけばいーんじゃないの?
死にたくなければ、というより消滅したくなければ――、宇宙なんか得たいの知れない巨大なものと繋がらなくても、多少まとまったものにリンクすれば、安定する。なかなか死ななくなる。いや、死ねなくなるとでも言うか。
リンク先は人間でいい。人間が駄目なら、それこそサイトでもいいし、バイオリンだって、盆栽だって、石ころを愛したっていいのだ。
何かに繋がれば死ななくなる。「自分」を保つことができるようになる。
あとは椅子は3本足でないと安定しないよ、の法則どおり、足の数を増やすことが不可欠になるだろう。
自分が愚か者だっていい。プライドを捨て殻を捨て、卑劣で愚鈍なひとりの人間であることを覚悟したら、あとはしっかり現実とリンクして「自分」というものをアップデートしていく。現実にどのような形であれ渡りをつけていく。そうすれば少なくとも生きていける。
なるほど、愚かな自分と直面するというリスクは確かにある。それはそれで怖いことだ。だが、いつまでたってもアップデートせずに放ったらかしてしまうことの方が、いかにもリスクは高い。それは現実との隔たりを根拠のない空想で埋めているに過ぎない状態であるからだ。
「お前は変だよ」なんてウイルスを仕込まれたら、ファイアーウォールが働かずに一発ショートして落ち込んでしまい、再起動不可能な状態になってしまうかもしれない。それよりも、いっそ変な自分と手を打って、サイトにリンクするなり石ころに話しかけるなり、しっかり自分の世界を構築して、「そうだね。変だってよく言われる。ハハハ」とできた方がぬりかべ的にはかっこいい。というか、安心して見ていられる。
この世には、生きていくために必要なアップデートの仕方を教えて欲しいと言う人間に溢れているような気がする。彼らの逆鱗に触れるようで申し訳ないが、それは学ぶものではなく、体得しなければならないもので、すでにその待ちの姿勢に入っている段階で泥沼に落ち込んでいる。パソコンなんかより遙かに高度でかつ原始的な生き物が人間なのだから、病気にかかって得る免疫のように、苦しむ覚悟、一歩踏み出す努力がどうしたっている。
とは言っても、現時点で為す術なく困っているわけなので、あんまり言っても大人げないことは重々承知。だけど、手を差し伸べたら勢い込んでつかむぐらいのことでなければ、こちらとしてもどーしょーもない。
追伸 結局、愚痴でした。
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