出会いがあれば別れがあるということで。
私が恋愛成就した瞬間に思うのは「別れた後」のことだった。

人の気持ちに永遠なんてものがあると信じている人がいるのだろうか。
心変わりがあったとして、それを責め立てることに意味があるのか。
いずれ別れがくるというなら、深く静かに潜行した付き合いをすべきだろう…

私の恋愛観は、そう、もの凄く暗かった。
そもそも他人を信用できない、と思っていた。
疑心暗鬼もここまでくれば立派な病気である。

私が好きになった人は、おおよそ恋愛=結婚という認識がない人であった。
当初、ドライな人だね…と与しやすい印象を持ったものだ。
それでも「恋人になったからには」と私を最優先に考えてくれる一途な面も見せてくれたし、遠距離恋愛を持続させるための努力も怠らない人だった。

私はと言うと。
他人から見れば恋愛感情がとても希薄で、とても恋をしているようには見えなかったらしい。
自分から相手を気にする素振りは見せることなく。
話をすすんで聞いてあげることもなく。
彼が落ち込んでいることを察することも出来ず。
…遠距離恋愛を選んだ人間とは思えない行動ばかりをとっていた。

私たちの恋愛は、彼の振る舞いによって繋がっていた。

別れてしまえば多分きっとすぐに日常に戻ってしまえる距離感。
孤独は得意だと思っていた。
会えばいつも嬉しくて、人目を忍んでのデートも楽しくて。
でも彼が帰れば、いつもの私が戻ってくる。
それは寂しいとか悲しいとか、そういう感情が全く去来しない日常。
電話がこなければ付き合っている事実さえ霞んでしまう。
「遠距離も悪くないわ」――そう嘯くことさえあった。
でもそれは。
それは…

ある日、私は気付かされた。
彼にとって私という女が初めてではないことを。
私と付き合うほんの数ヶ月前に別の女性と付き合っていたことは知っていた。
知っていることと認識させられることは違うことを思いしった。
彼は言った。
「今もし、三人で対面したとして。俺は多分、君じゃなく彼女の味方をするだろうね」
言われた瞬間は別に嫉妬も何もなかったけれど。
それは不安の種だった。
この言葉はじんわりと私を追い詰めていく。
彼の行動の端々に、彼女の存在が見え隠れした。
いや、見え隠れしているように私は感じた。
実際がどうだとかは問題ではなく、私がそう感じていた。
孤独が得意…?
違う。
感情を持て余すのが面倒だっただけではないか。
嫉妬することも泣くことも切なく思うことも、そのすべての感情を味わいたくないばっかりに。
恋愛に何の責任も負いたくないという幼い思考が、孤独を愛したということに他ならないのでは………

別れを前提に考えれば、相手に深くのめり込むこともないし、深く想わなければ自分が傷つくこともない。
逆説的には己が傷つきたくないばかりに、ひたすら相手と向き合うことを恐れていたに過ぎなかった。
それは今思えば、二次元に恋をしているようなイメージだ。
好き、だから付き合うけれど。
楽しい時間以外は過ごしたくない、苦しむあなたは見たくない。
いつも綺麗なままでいて。
あなたは愛の言葉と知的な会話、そして私好みの姿だけを提供してくれるだけでいい。
…恋愛に痛みの伴わない別れなんて滅多にないのに。
私は恋愛を楽しむことを放棄して、時間を無駄に浪費したのだ。

不安は嫉妬という感情を私に植え付けた。
私より別の誰かや何かを優先させる彼を遠い目で見つめる日もあった。
でも知っている。
私を優先させないことと愛情を失うことはベクトルがまるで違う。
切なく悲しい想いは、彼に感謝する気持ちを芽生えさせた。
彼はたくさん努力をしてくれた。
一人の人間として私と支え合っていきたいと行動してくれた。
だから私もそれに応えたい。
苦しむあなたも弱いあなたも、私はみとめる覚悟を持った。
そう、あなたが昔からそうであったように。

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