棚にあげる 担当:もぞ
2005年5月15日喜怒哀楽が少ないというか。
鉄面皮というか。
冷静だとかシニカルだとか。
ま、そういう風に思われている人間にはどうでもいい情報が大量に流れがち。
例えば?
そうっすね。
派閥が絡む話とか。
苦しい恋愛の話とか。
下世話な噂話とか。
気が付けば情報通になっていたりするもんです。
何が情報集積に役立ってんだろう、と言えば。
クールだという性質の本質――つまり中庸でどっちつかずの態度ってやつが、意見を主張したい人達を呼んでるのかなぁって思う。
「あの人ってこういう人なの。有り得なくない?」という言葉の脈絡を注意深く辿ってみると、「同意してよ」とか「あんたみたいに他人に無関心な人間が興味を持ったという事実だけ頂戴よ」とかいうことなのじゃなかろうか。
自分のことを見捨てない程度には仲良くて、でもその生き方からは中庸以外の何のポリシーも見えないような人間に情報というか愚痴というか悪口っていうのは流れていく。
でも。クールだと思われている人は、難癖付けて絶対に同意しないよね。
それでもって、こういう誹りを受けるわけだ。
「○○されたことないから、人の痛みが分かんないのよ」とか。
「友達だから打ち明けたのに」とか。
でもって、それに対してこう思うわけさ。
私はあなたが想像しえない経験をしていて、それを表に出さないだけなんだけど? とか。
いつから君の友達だったっけ? とか。
実際、親身になって――なったつもりで、相手の訴えに対し「同意できること」「同意できないこと」を区別しながらアドバイスしてるんですよ。
よかれと思って御託並べちゃうわけですよ。
それは実に余計なお世話だったということなんだけど。
ニュートラルな存在って得をします。
情報が集まるおかげで優位に立てるもの。
これって激しく気持ちいい。孤高だけど、それこそが快楽。
だって例え誰かを傷つけても「誰からも理解されてない」みたいなこと言えば、ほら免罪されちゃう。
しかも「理解は求めない」とかって言っちゃえば、何て言うの? 不可侵状態。
でもこの情報、所詮は優柔不断というか覚悟が足りてないおかげで流れ着いただけのこと。
流れ着いてきたものに対してケチつければ、そりゃあ文句も言われるよな。うん。
白と黒だけの世の中が不毛であるのは言うまでもないけどね。
いや、多様性を認めない社会は、今の価値観にそぐわない、つまり「正義」じゃないよね。
でも二者択一に迫られる世界に私たちは生きてるわけですよ。
誰かが出さざるを得なかった答えに対して「イエスともいえないし、ノーっていうのもね…」と返すのは、相手の尊厳を踏みにじっちゃいませんかね。
もちろん、そういう態度でかえって冷却出来て良かったとか、そういう結果も生まないことないですけど。
「仕方ないよ、そういう風にしか生きられないし、嘘もつきとおせないし、嫌われても文句言えない」
いいんです。
そう割り切っている人を非難したいわけじゃないから。
ただ、あーあ、と思うのはそういう生き方しか出来ない自分を許して、褒めて、という態度に対してのことだもの。
自分という存在の特異性を盾にして。
他人を分かろうとしないのに。
他人を許そうとしないのに。
分かってくれなくてもいいと嘯きながら、いや分かるはずもないと見下しながらも、分かって欲しそうな態度に出られてもな。
…みんな、困っちゃう。
みんなを困らせているかしら?
鉄面皮というか。
冷静だとかシニカルだとか。
ま、そういう風に思われている人間にはどうでもいい情報が大量に流れがち。
例えば?
そうっすね。
派閥が絡む話とか。
苦しい恋愛の話とか。
下世話な噂話とか。
気が付けば情報通になっていたりするもんです。
何が情報集積に役立ってんだろう、と言えば。
クールだという性質の本質――つまり中庸でどっちつかずの態度ってやつが、意見を主張したい人達を呼んでるのかなぁって思う。
「あの人ってこういう人なの。有り得なくない?」という言葉の脈絡を注意深く辿ってみると、「同意してよ」とか「あんたみたいに他人に無関心な人間が興味を持ったという事実だけ頂戴よ」とかいうことなのじゃなかろうか。
自分のことを見捨てない程度には仲良くて、でもその生き方からは中庸以外の何のポリシーも見えないような人間に情報というか愚痴というか悪口っていうのは流れていく。
でも。クールだと思われている人は、難癖付けて絶対に同意しないよね。
それでもって、こういう誹りを受けるわけだ。
「○○されたことないから、人の痛みが分かんないのよ」とか。
「友達だから打ち明けたのに」とか。
でもって、それに対してこう思うわけさ。
私はあなたが想像しえない経験をしていて、それを表に出さないだけなんだけど? とか。
いつから君の友達だったっけ? とか。
実際、親身になって――なったつもりで、相手の訴えに対し「同意できること」「同意できないこと」を区別しながらアドバイスしてるんですよ。
よかれと思って御託並べちゃうわけですよ。
それは実に余計なお世話だったということなんだけど。
ニュートラルな存在って得をします。
情報が集まるおかげで優位に立てるもの。
これって激しく気持ちいい。孤高だけど、それこそが快楽。
だって例え誰かを傷つけても「誰からも理解されてない」みたいなこと言えば、ほら免罪されちゃう。
しかも「理解は求めない」とかって言っちゃえば、何て言うの? 不可侵状態。
でもこの情報、所詮は優柔不断というか覚悟が足りてないおかげで流れ着いただけのこと。
流れ着いてきたものに対してケチつければ、そりゃあ文句も言われるよな。うん。
白と黒だけの世の中が不毛であるのは言うまでもないけどね。
いや、多様性を認めない社会は、今の価値観にそぐわない、つまり「正義」じゃないよね。
でも二者択一に迫られる世界に私たちは生きてるわけですよ。
誰かが出さざるを得なかった答えに対して「イエスともいえないし、ノーっていうのもね…」と返すのは、相手の尊厳を踏みにじっちゃいませんかね。
もちろん、そういう態度でかえって冷却出来て良かったとか、そういう結果も生まないことないですけど。
「仕方ないよ、そういう風にしか生きられないし、嘘もつきとおせないし、嫌われても文句言えない」
いいんです。
そう割り切っている人を非難したいわけじゃないから。
ただ、あーあ、と思うのはそういう生き方しか出来ない自分を許して、褒めて、という態度に対してのことだもの。
自分という存在の特異性を盾にして。
他人を分かろうとしないのに。
他人を許そうとしないのに。
分かってくれなくてもいいと嘯きながら、いや分かるはずもないと見下しながらも、分かって欲しそうな態度に出られてもな。
…みんな、困っちゃう。
みんなを困らせているかしら?
コメント