奇妙な友人を持つもので、それが言ったことには――
「日本も精子バンクをつくらなきゃいけない」とか。
 なんで? と聞くと、
「これから先は少子化で子供が少なくなる。子供が少なくなれば日本の将来が危なくなる。日本を安泰にするために、優秀な遺伝子の子供がたくさんできる仕組みを作っておかなければならない」――のだそうだ。
 とどのつまり、発明家やスポーツ選手の優秀な遺伝子を広めるような体制を整えれば豊かな社会が維持できる、というわけ。

 本当にそうなのか? と思った。

 その理屈でいけば、日本がアメリカに負けたのも、インカ帝国が滅びたのも、インディアンが追い立てられたのも、みんな全て遺伝子が劣等だったからということになってしまう。本当にそうなのか。
 違うと思う。人間の能力が遺伝子の向上によって多少伸びたからといって、社会が豊かになる保障はないし、まして個人が幸せになれる道理もない。もっっと異なる因子が、幅をきかせているとぬりかべは思う。

 例えば、幕末の時代、日本は諸外国の干渉を廃して、驚くほどの速さで欧米の文化を吸収し文明開化を成し遂げた。それは日本人が優秀な遺伝子を持っていたからではない。西郷隆盛、坂本龍馬の薩長同盟に代表される倒幕勢力の早期結合と、庶民の識字率の圧倒的な高さがあったからである。早期に内乱状態を脱したから庶民の殺戮が少なかったし、そのうえ識字率が高かったから欧米の文化吸収が早かったのだ。

 そこに遺伝子とか、個人の能力の高さとかのつけいる隙はない。人間の世界はチーム戦なのである。個人の高さを伸ばす以上に、内部で揉めていたり、文化技術の伝達が遅れていれば、それだけでチームの力は弱くなる。逆に言えば、揉めることが少なく、揉めてもすぐに解決可能で、逆にそれを乗り越えることでさらに団結することができ、また、誰かが得た新しい技術をすぐにチーム内全てが知ることができる、というような体制づくりができるチームは最強となるということだ。

 個人レベルで遺伝子の優劣を競うことは、社会や国レベルで見て何の意味もないと思う。それよりも行政や司法の改革にお金を使う方がかなりましに思える。まして個人が幸せになれるかどうかということとは全く無関係だ。

 話は少しずれるけど。
 常に自分の心のなかに相克を抱えこむ人がいる。一つのことを知っても、他のことに応用できない人がいる。それらのことに手一杯で他人の感情を省みることができない人がいる。チーム戦とか何とかいう前に、実は己自身を御し切れてない人がいるのだ。もちろん社会というのはそういう人間をも組み込んで成り立っている。一生の命題かもしれないが、本当の意味で豊かになるには、それらを克服する必要があるのかも知れない。

コメント