一口メモ>もぞに『ボーボボ』の話をしても食いついてこないのに、『いちご100%』の話をすると食いついた上に語り始めてしまうのはどうしてだろうか。

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 犬に名前を付けてやると、すぐに犬はそれが自分のことだということを認識する。人間の命令に従って、しゃがむことも前足を差し出すことも、なんなく覚えてやってのける。要するに、犬はとても賢い動物だ。
 古代の洞窟の壁画に犬と一緒に狩りをする人間の姿が描かれている。それからすると、なんと人間は一万年もの昔から犬を飼っていたということになる。人間にとって、犬を飼うことで得られた利益は大きかった。犬は狩りの助けにも緊急時の食糧にもなったからだ。そればかりではない、犬がいたから人間は樹上生活から解放されたのだという学説もある。
 当時、人間は樹上が唯一の安全圏だった。外敵から身を守る完璧な術を持っていなかった。すでに火は得ていたが、なにせジャングルで火を焚くとそこに突っ込んでくる動物(サイとか)もいたので役に立たなかった。
 しかし、犬が友達になった。その優れた嗅覚をもって外敵の接近を知らせてくれるようになった。そこで始めて人間は樹から下りて安全に生活することができるようになったのである。犬がいなければ、狩りも満足にできなかったし、農耕に到達することもできなかっただろう。つまり、犬は人類発展の立役者だった。

 しかし、ライオン。
 ライオンだ。
 ライオンととなるとこうはいかない。
 ライオンを個人的に飼っている奴に巡り会ったことはないけれど、しつけもやってやれないこともないのだろうが、いかんせんライオンにしつけは命懸けだろう。しかもネコ科だ。気まぐれの代名詞のネコのことだ。人間の言うことなど聞くはずもない。暇だから遊んでくれと言われても、そうそう迂闊に近づけるはずがない。気まぐれにパクリとやられれば、あぁ案外おいしぃなんてことになって、それからガジガジいかれそうだし、仮に無邪気に抱きつかれるだけでも、ゴロゴロと回転され無造作にじゃれられれば、それだけで重傷となるのは間違いない。犬とは全く違う。
 結論から言うと、犬は飼えるがライオンは恐ろしくて飼えない。なにせ百獣の王だ。彼らにはジャングルを守る使命も生まれながらにきっとある。人間に飼われるなど自尊心が許さないだろう。

 しかし。
 しかしだ。
 犬を飼う、言い換えれば友達になることで発展した人類は、いまやライオンと友達になる必要がある。犬と友達になったように、ライオンとも友達になれる。乗り越えることができる。
 この場合、ライオンに犬と同じように接する必要はない。ライオンにはライオンにふさわしい仕事をやってもらえばいいことだ。それは、ジャングルやサバンナの食物連鎖の頂点に立つというだけのことかもしれない。ただそれだけの仕事で、犬ほどには直接的には人類に貢献しないのかもしれない。人類と全く別の世界で、生きてもらうという結論。だがそれでいいのだ。
ライオンの存在を認めず、分からないから殺してしまおう、なんていう結論よりはマシだと思う。

 人間はよく分からないものに敵意を向ける。
 陰口を叩いたり、不当な差別を向けることができるのは、実はよく分かっていない人間に対してだ。よく分かっている人間に対して、激しい怒りを持続できる人間はあまりいない。
 身近な人間に対して、全て人間と犬のような関係を求めるのは間違っている。全く利益のない、それどころか近づきすぎると怪我をして損をするような人間とライオンのような関係もある。

 悪感情を芽生えさせず、かといって期待せず油断せず、有益でも有害でもない無益の関係。開いているか閉じているか分からないような関係だが、実は大きく開いている。そのような人間関係を築くのは難しいが、必要なことだ。

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