一口:「カワウソはかわいい嘘をつくから、カワウソっていうんだよ」とモゾに言った。当然、信じなかった。加えてそれどころかペテン師のような言われ方をした。しゃれの分からない人だ、こんなかわいい嘘ぐらい見逃してくれれば良いのに。

       書けば書くほど遅くなる

 自分は文章を作るのに時間がかかる。
 三行ほど書いては詰まっている。詰まると、何度も戻って読み返す羽目になる。それで大したことのない変更を加えたりして、また懲りずに読み返している。読み返して読み返して、自分感覚で自然に読み通すことができたと感じてやっと再び三行ほど書くことができる。
 当初、過去形で書かれた文章は、ときに現在形に変わり、再び過去形に戻って落ち着いたりする。訂正した文章を元に戻すことなどしょっちゅうで、正直、無駄なことをやっているものだなぁと我ながら思う。他人が見たら見事な遅筆っぷりに驚くことだろう。
 文章メモで文章のリズムの話をしているが、あんなことさえつらつら考えるものだから、最近、遅筆に拍車がかかっている。それで過去の物と読み比べて見ても大して変わらないどころか、過去の物の方が良いと感じられてしまうからひどく悲しい。普通の人はなんとなく感覚で分かるものが、きっとぬりかべには分からないのだ。ちょっとしたちぐはぐ感を感じてしまうと書き続けることができなくなってしまうのだ。
 かくして、まるで数学の方程式を解くような感覚で文章を作っている。ここはこれだからあれで受けねば、とか。韻は踏めないだろうか、とか、リズムはとれないだろうか、別の表現はありえないだろうか、とか。強迫観念に追い立てられるように文章をつくっている。多分、積み上げた感覚というのだろうか、しっかり自分が立っているという固い地面の感覚が掴めないと書き進めることができないのだ。要するに、臆病なのである。

 物語についても最近その傾向が強くなってきた。

 速水についてもっと軽妙でザク切りの書き方もできただろうに、良くない形で深入りしてしまっていると感じている。ある意味、マニアックで、読む人の面白さよりも、自分がどれだけ納得できる速水が書けるかという限界に挑戦する感じになっている。しかし、その背景には臆病さがある。臆病というか偏執だろうか。こういう物しか書きたくなくなっている自分が確かにいる。

 これではいかんなぁと思っている。
 思っているが今はこれが楽しくもある。
 いまのところは、どうぞ勘弁。

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