いや、ニラが感想を言うのを渋ったのもうなずける。見終わった後、主題はなんだったのだろうか、と考えさせられた。主題とはこの際、原作者ではない、脚本を務める宮崎駿の訴えたいことである。それが分からなかった。
 正直、面白いなぁと思ったのはサリマン先生との対決ぐらいで、その後も最初のプロローグもストーリーが強引で首をひねっていた。
 原作は、「魔法使いハウルと火の悪魔」となっているくらいだから、おそらく呪いの浄化が目的で、主題はハウルが心を取り戻すことだったんだろう。でもソフィが「ハウルはハウル、これでオッケー」とかサリマン先生に宣言しちゃってる以上、例えばみんなから誤解をされているハウルのシーンとかがもっと必要だったのではないだろうか。
 物語には谷がいる。差別されていたり誤解されていたり臥薪嘗胆する時期があった方がメリハリがつく。それがかなり無かったような、あるにはあってもおかしな方向に物語を持って行かれた気がする。その上、ハウルもソフィも描き方が足りず、ひたすらカルシファーとマルクルと犬サリマンと荒地の魔女の名脇役ぶりが光っていた。

 そもそもソフィは何だ。あいつが何をしたというんだ。
 過去に会ったことがあるからだけでいいのか。それでハウルの心がどうして埋まるんだ。老婆にさせられたんだぞ? もっと苦しめ、叫べ。
 当初からかなり精神的に強いソフィ。老婆になったにもかかわらず、その理不尽さを訴えることなく、パンとチーズをパクったうえ、ヒッチハイクしてかかしのカブには雑言並べ立てます。この強さにはもう見とれているほかなく、観客として応援する気に到底なれなかった。

 いいか、ナウシカを見ろ。
 強国に挟まれ滅ぼされようとする風の谷を支え、地下研究室では世界を救うために腐海の樹木の研究を身の危険も省みずしていた。そのうえで、ユパ様に「わたし怖い」といって抱きついたりしていたではないか。王蟲の子を救うため、撃たれたり、酸で焼かれたり、王蟲にはねられたりしていたではないか。
 キキを見ろ。
 カボチャパイ嫌いなのよねと言われ、パーティに参加できず、唯一の拠り所である魔力を失い、これまた唯一の友人であった黒猫と会話ができなくなって、もう死んじゃった方がいいとばかりに途方にくれていたではないか。

 ソフィ、そしてハウル、お前らは決定的に足りないんだよ。お前達は癇癪を起こして美しくないと泣きじゃくったり、ローションみたいなものにまみれてズルズル運ばれたり、大きな鳥になったら戻れなくなったんスよ(ギフトのキムタク風)、って言っているだけで、物語の谷を演じていると言えるのか――?オイ
 しかも唐突に――「愛してる」なんで??

 この谷のところで原作がそうなのかもしれないけど、ハウルの性格は壊れるわ、ソフィのキャラがコロコロ変わるわ、宙に浮いたような方向に物語は向いていくわで、もう大変。

 とは言え、決して面白くなかったわけではなく、一回だけ見る分には楽しい作品でした。元気はもらえませんでしたが。特に対師匠サリマン戦は空中戦なしでも楽しめる数少ない部分だった。あそこだけなら何回見てもよし。

 思うに、ソフィには思想が足りなかった。ナウシカもキキも、パズーもシータも、力強い思想に満ちあふれていた。そこには宮崎監督の嫌らしいとも言える(本当に嫌らしい)メッセージが込められていた。
「大地を汚したのは人間なんです。腐海はそれを綺麗にしようとしているだけ」(ナウシカ)
「こんな高度な文明に支えられていても、人々は大地に帰りたかったんだ」(パズー)
「飛べない豚はただの豚だ」(紅の豚)
「ガッハー」(トトロ)
 忘れた、でも何か言ってた(もののけ姫)

 原作を他から持ってきたからではない。
 要所を弟子に任せたからでもない。もはや宮崎監督には伝えるべきメッセージが枯渇したのではないかと、ぬりかべには思える作品でした。

 メッセージがないならないで、猫男爵のときのように女子高生が猫耳と髭を生やして、終始真剣になることなく、ポップに作ればよかったのではないだろうか。あれはあれで面白い作品だと思う。一方、ハウルの動く城は、主題が心を取り戻す、つまり人間の弱さを出して、そこから立ち上がるところに共感を見いだす作品としては、見せ方が足りないと思った。

PS かかしのカブが人間に戻った後もぴょんぴょん跳ねてたのにはワロタ。

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