なんだか物騒になってきました。 担当:ぬりかべ
2006年7月23日 なにって世界情勢のことですが。
駄々っ子のようにミサイル乱射する北の国もあれば、聖地の国も隣国に地上部隊を出してきちゃったりして、ほんと物騒このうえない世の中になってきました。
以前に、人間の不満の容量は生涯通してそんなに変わらないのでは?って話をしましたけれど、世界の紛争ってやつも質は変われども量としては変わらないみたいです。攻殻機動隊で、童のころは童の言葉を解すが大人になったら忘れてしまう、という一節がありましたが、人間も紛争を解決するための知恵を忘れ、今まで紛争と認識していなかった揉め事を紛争と捉え、どこまでも兄弟喧嘩を拡大していく愚かな子供なのかもしれません。
とまぁ呑気なことも言ってられなくて、我々の祖国としても、敵基地攻撃能力の確保ってことで、こんなの
(http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/message00/raptor.f22.htm)
をアメリカから購入して防衛にあたる模様です。国際社会が全会一致して非難決議を出すくらいの空気のなかでは、違和感なく軍備増強できるんでしょうね。ちなみに1機300億。
そんなの買う金があったら、いっそ北の国に渡せば安くすむんじゃねーの?ってな意見も飛びそうですが、日本から北の国に流れている資金は人道的支援だけでも毎年数十億あったうえに、麻薬とか宗教とか一部遊興施設とかで流れている金は兆円規模とも言われていて、なんとなく、これはこれで、釣り合いがとれるかもしれません。
以前も言いましたけど日本は弱い国です。
主要資源のどれかを止められたら生きていけません。当然それは資源そのものだけではなく、資源の通り道を塞がれてもそうなんです。具体的に言うと、北の半島と台湾とハワイ、この三つが全て塞がれたら日本という国はそこに住んでいる人間もろとも滅びるしかないんですね。過去、我が国の様々な優れた先人が指摘してきた、これは悲しいけれど厳然とした事実なんです。だから、国防を考えたとき、この三つを抑えているそれぞれの勢力とは、同盟を結ぶか、結べないのであれば、どちらかが滅びるまで全力で殺し合うしかないんです。ただ、生き残るために。
例をあげると、戦国時代、有名な織田信長。非常に好戦的に領地を拡大していきましたが、それもそのはず、尾張、濃尾平野に起こった小大名でした。隠れるところも守れるところもないところに本拠地があれば、戦国時代では攻めていくしかないんですね。ただ、生き残るために、それだけです。この人の親父の織田信秀も少し余裕がでれば、三河や美濃に遠征を繰り返しては負けて帰ってくるを繰り返していました。だから、尾張に勢力を持つ小大名の宿命と言うことができます。信長の代になって桶狭間でようやく勝ちを拾うことができます。それで軍事均衡が大きく崩れます。そこで信長は、反乱分子を一掃し、改革を一気呵成に行い、軍を動員し続け、またたくまに勢力を拡大するわけです。その手腕は天才だったということでしょうが、彼の神髄は生き延びることに貪欲なほど忠実であったことだとぬりかべは思います。長篠で武田軍を破って覇権を確立した後も、憑かれたように勢力の拡大に腐心します。そして、結局、足下を掬われてしまいました。
とどのつまり、何が言いたいかっていうと、北の国も追いつめられているんでしょうが、資源ラインに影響があれば国の存亡に直結する日本もそれなりに大きな危機感を抱いているということです。悪くすれば、織田信長的な心境というものが剥き出しになってくるかも分かりません。人間単体で見たって、個として確立できないものは他に対して激しい攻撃を加えることでなんとかしようとするんです。国だって例外ではありません。生存維持に必要な資源の流入が脅かされれば非常手段に向けて最も近い道を歩み始めるしかないんです。それは、ただ、生き残るためにです。それは水が高きところから低きに流れるように自明なことで、できればそれを避ける努力をすべきなんですね。
軍靴の音が響いてくると、萌え対象も少しずつミリタリチックなものや真剣みが増したものが選ばれるようになるんでしょうか。それとも反比例して非現実なファンタジックなものが受けるんでしょうか。両方を兼ね備えていたと思われるゲド戦記の評価はかなり悪いみたいです。それは宮崎平和主義が陳腐化したからでしょうか、それとも単純に作り方が悪かったからでしょうか。人間の感動は作品中で何かが救われることによってしかその琴線に触れることはないと思っています。きっと何かが足りなかったに違いありません。一方、記録的な売上を誇った指輪物語ですが、いまだにDVDが売れ続けているということです。この作品のテーマは「和解」だったと勝手にぬりかべは思っています。そのような現実が10年くらいのうちに北の国にも聖地の国にも訪れることを祈っています。
駄々っ子のようにミサイル乱射する北の国もあれば、聖地の国も隣国に地上部隊を出してきちゃったりして、ほんと物騒このうえない世の中になってきました。
以前に、人間の不満の容量は生涯通してそんなに変わらないのでは?って話をしましたけれど、世界の紛争ってやつも質は変われども量としては変わらないみたいです。攻殻機動隊で、童のころは童の言葉を解すが大人になったら忘れてしまう、という一節がありましたが、人間も紛争を解決するための知恵を忘れ、今まで紛争と認識していなかった揉め事を紛争と捉え、どこまでも兄弟喧嘩を拡大していく愚かな子供なのかもしれません。
とまぁ呑気なことも言ってられなくて、我々の祖国としても、敵基地攻撃能力の確保ってことで、こんなの
(http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/message00/raptor.f22.htm)
をアメリカから購入して防衛にあたる模様です。国際社会が全会一致して非難決議を出すくらいの空気のなかでは、違和感なく軍備増強できるんでしょうね。ちなみに1機300億。
そんなの買う金があったら、いっそ北の国に渡せば安くすむんじゃねーの?ってな意見も飛びそうですが、日本から北の国に流れている資金は人道的支援だけでも毎年数十億あったうえに、麻薬とか宗教とか一部遊興施設とかで流れている金は兆円規模とも言われていて、なんとなく、これはこれで、釣り合いがとれるかもしれません。
以前も言いましたけど日本は弱い国です。
主要資源のどれかを止められたら生きていけません。当然それは資源そのものだけではなく、資源の通り道を塞がれてもそうなんです。具体的に言うと、北の半島と台湾とハワイ、この三つが全て塞がれたら日本という国はそこに住んでいる人間もろとも滅びるしかないんですね。過去、我が国の様々な優れた先人が指摘してきた、これは悲しいけれど厳然とした事実なんです。だから、国防を考えたとき、この三つを抑えているそれぞれの勢力とは、同盟を結ぶか、結べないのであれば、どちらかが滅びるまで全力で殺し合うしかないんです。ただ、生き残るために。
例をあげると、戦国時代、有名な織田信長。非常に好戦的に領地を拡大していきましたが、それもそのはず、尾張、濃尾平野に起こった小大名でした。隠れるところも守れるところもないところに本拠地があれば、戦国時代では攻めていくしかないんですね。ただ、生き残るために、それだけです。この人の親父の織田信秀も少し余裕がでれば、三河や美濃に遠征を繰り返しては負けて帰ってくるを繰り返していました。だから、尾張に勢力を持つ小大名の宿命と言うことができます。信長の代になって桶狭間でようやく勝ちを拾うことができます。それで軍事均衡が大きく崩れます。そこで信長は、反乱分子を一掃し、改革を一気呵成に行い、軍を動員し続け、またたくまに勢力を拡大するわけです。その手腕は天才だったということでしょうが、彼の神髄は生き延びることに貪欲なほど忠実であったことだとぬりかべは思います。長篠で武田軍を破って覇権を確立した後も、憑かれたように勢力の拡大に腐心します。そして、結局、足下を掬われてしまいました。
とどのつまり、何が言いたいかっていうと、北の国も追いつめられているんでしょうが、資源ラインに影響があれば国の存亡に直結する日本もそれなりに大きな危機感を抱いているということです。悪くすれば、織田信長的な心境というものが剥き出しになってくるかも分かりません。人間単体で見たって、個として確立できないものは他に対して激しい攻撃を加えることでなんとかしようとするんです。国だって例外ではありません。生存維持に必要な資源の流入が脅かされれば非常手段に向けて最も近い道を歩み始めるしかないんです。それは、ただ、生き残るためにです。それは水が高きところから低きに流れるように自明なことで、できればそれを避ける努力をすべきなんですね。
軍靴の音が響いてくると、萌え対象も少しずつミリタリチックなものや真剣みが増したものが選ばれるようになるんでしょうか。それとも反比例して非現実なファンタジックなものが受けるんでしょうか。両方を兼ね備えていたと思われるゲド戦記の評価はかなり悪いみたいです。それは宮崎平和主義が陳腐化したからでしょうか、それとも単純に作り方が悪かったからでしょうか。人間の感動は作品中で何かが救われることによってしかその琴線に触れることはないと思っています。きっと何かが足りなかったに違いありません。一方、記録的な売上を誇った指輪物語ですが、いまだにDVDが売れ続けているということです。この作品のテーマは「和解」だったと勝手にぬりかべは思っています。そのような現実が10年くらいのうちに北の国にも聖地の国にも訪れることを祈っています。
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