日付が変わる前に 担当:サホ
2006年8月12日その日は――その日も一緒だった。
何も言わずとも、そうあるべきものだと疑うこともなかった遠い夏の日。
だから、約束をしたのはその時が初めてだった。
明後日は何か予定があるのか、などと遠回しに探りを入れてまでして。
けれども、毎日一緒にはいられなくなって。
一緒に過ごすことの方が少なくなってきて。
もう、来年は約束すらも出来ないのかもしれない、と。
あの時から、そう漠然と感じてはいたけれど、それが、こんな理由だとは思いもしなかった。
散歩に付き合ってくれない?
既に空には月が見える時刻にも関わらず、そんな風に気安い口調で切り出せるのも、この関係の賜物。
誰も――誘われた本人ですら特に不審がりもせず、二つ返事で快諾してくれたのだから。
と、思っていたのだが。
「――で?」
「で…って、何?」
勝浦の宿から浜辺で出たところでの、幼なじみのその唐突な一言に望美は首を傾げた。
「それはこっちのセリフ。なんか、話、あったんだろ?」
「え? なんで?」
「なんでって、さっき、そういう顔してたからさ。違うのか?」
「――なんだ…。気付かれてたんだ…」
「あれで隠せてるつもりだったのか? 何年付き合ってると思ってんだよ」
「…将臣くんには敵わないなぁ」
事も無げに言われ、何やら面映いものが望美の中に広がる。
それがわかってしまうのは、やはり、この関係だからこそで――いや、むしろ、先程よりも深くそのことを実感せずにはいられなかった。
「話じゃないんだけどね。これが渡したくて…」
そう言って、望美は将臣にそれを差し出す。
「なんだ、これ?」
「誕生日プレゼント。この世界の日付って、実はまだよくわかってないんだけど、そろそろかなと思って」
「あー…誕生日、か…。すっかり忘れてたぜ」
「そう言うと思ったよ。ここって誕生日にはお祝いしないみたいだから。たたでさえ、将臣くんってそういうのに無頓着だし」
「そっか。そうだよなぁ…。誕生日、なんてのがあったんだよなぁ…」
「……そう。誕生日なんだよ、将臣くんの」
懐かしむような口調が望美の中に影を落とす。だが、それを悟られまいと努めて明るい声で言った。
「将臣くんにはほんと久々だろうし、ここって熊野なのに、運良くまた会えたでしょ? それに、私はこっちに来てから将臣くんにクリスマスプレゼントももらってるし、そのお礼も兼ねて――なんて、懐中時計に比べたら可愛げに欠けるんだけど、一応、私が作ってみたんだ」
「お前が?」
「うん。出来れば使ってほしくはないんだけどね」
「何だよ、それ」
ぞんざいに返しながらも、その表情は、以前は――時空の狭間ではぐれるまでは、見せたことのないような大人びた笑みで。
しかし、それも束の間、その中身を目にした瞬間、将臣の顔に苦渋に満ちた色が滲む。
「……これって――塗り薬、か…?」
「何、その顔、失礼しちゃうなぁ! 安心して。調合とか弁慶さんにほとんど手伝ってもらったようなもので、私がやったのは練り合わせたくらいだから。それに、ちゃんと自分でも試してみたしね。ほら!」
躊躇いもせず、望美は左袖を捲くり上げ、白い二の腕を潮の香のする夜気の中に晒す。
「一週間ほど前に怨霊にやられちゃってね。傷が塞がるまで十日くらいかかるかもしれないって言われてたんだけど、包帯も取れたし、もう結構キレイに治ってるでしょ?」
「治ってるでしょ、って、お前…! あっ、悪ぃ、痛かったか?」
勢いその細い腕を掴んだ将臣は慌ててその手を緩めはしたが、しかし、離すことはなかった。
「――ごめんな。ずっと、一緒にいてやれなくて…」
「…やだなぁ。これくらい平気だよ? こんなの掠り傷だし、それに、将臣くんには将臣くんの、ここでの三年半分の生活があるんだから」
「それは――けど、掠り傷ったって、跡とか残るかもしれねぇだろ? まだ嫁入り前なのに…」
「将臣くん、なんかそれ、お父さんみたいだね」
「笑い事じゃねぇだろ!?」
「ごめんごめん――でも、いいんだよ、傷跡くらい。それに、そんなこと気にするような心の狭いヤツに可愛い幼なじみはやれない…ってくらいには反対してくれるものだと思ってるんだけど、ちがうのかな?」
「…まぁ、それは、そう、だろうけどさ…。…可愛いかどうかは別にして」
「こういう時は嘘でもそうだって言うものだよ!」
などと、反論しながらも。
――もしも。
もしも、あのまま、離れることなく過ごしていたら、その時は自分が貰ってやるとでも言ってくれたのだろうか。
どことなく歯切れの悪い相槌に、ふとそんなことを思って、望美はすぐに打ち消した。
それは考えても埒のないこと。ただの幼なじみでいられたあの頃とは、もう違うのだから。
「――とにかく、私なら大丈夫だから。傷跡が残ったとしても勲章のようなものだし、何より、こんなに効く薬もあるしね!」
「…ったく。お前の場合、傷跡より、まず、そのじゃじゃ馬っぷりを直さねぇことには貰い手なんてないかもな」
「ちょっと、将臣くん!?」
「ほらな。そんな目、並の男じゃ、すぐ逃げちまうぜ?」
「もう! ――まぁ、別にそれでも、いいんだけどね。きっと、今は、それくらいの方がいいだろうし」
未だ将臣に掴まれたままの腕に視線を落とし、望美は静かに訊いた。
「…もうすぐ、またお別れなんだよね?」
「…ああ」
「――ほんとはね、どうしようか迷ったんだ…。ものより思い出っていうけど、今の将臣くんにはどんなプレゼントもきっと荷物になっちゃうだろうから…。縛られるものは少ない方がいいだろうし…」
「え?」
「あ…。えっと、その、将臣くんも移動が多いみたいだし、なるべく身軽でいたいだろうなと思って。だからね」
「望美…?」
「――たとえ、私が今、将臣くんについていったとしても、何の役にも立てないけど、でも、これなら邪魔にはならないと思ったんだよ。お守りとかより、将臣くんにはずっと確かな効き目があるだろうなって…。ちょっと罰当たりなこと言ってるけど」
上手く笑えているのだろうか。
先程も容易く心の内を見破られたばかりで、望美には今ひとつその自信が持てない。
「あのね、私にはこの懐中時計も、思い出も、すごくすごく大事なお守りみたいなものだけど、もしも――もしもね、私のことが将臣くんの重荷になったなら、その時は、私のことなんて構わずに捨ててほしいの」
「お前、何言って…」
「…将臣くんには何よりもまず自分のことを大事にしてほしい、ってことだよ」
「望美…」
「将臣くんは大切な幼なじみだから――どんなに遠く離れてしまっても、それはずっと変わらない…。でも、もう、昔みたいに、いつも一緒っていうわけにはいかないから……」
あのまま、向こうの世界にいても、いつかは歩む道が違っていたのかもしれない。
けれども、ここで、こうして、別たれたものは辿り着いた時空だけではなかったのだ。
今はもう、何もかもがただの幼なじみではいられないことを知っている。
知っていて、こんなものを彼に渡すのは、ひどく矛盾したことなのかもしれない。
いつかまた、そう遠くない未来に、自分はこの大切な、誰より大切なひとと切り結ぶかもしれないのだから。
それでも、目の前の――記憶の中にあった姿とは少し異なるけれど――彼を想う気持ちまでも変えることは出来ようはずもなく。
そう、たとえ、もう気軽に逢う約束すら交わせぬほど離れた関係になっていたとしても。
「……だから、もしも、何かあった時は、その薬を使って、ちゃんと自分の身を守ってね? 私の知らないところで無茶しすぎないで」
「それは…お前も、だろ…?」
「私は大丈夫だよ――私なら心配ないから。譲くんも、みんなもいるしね」
「それでも、だ。…俺のいないところで怪我なんかしないでくれよ、頼むから」
こんな表情も以前は決して見ることのなかったもの。
そのことに、どこか甘さを含んだ痛みを胸に覚え、望美は伏し目がちに――だが、深く頷いた。
「…うん。そうだね。ちゃんと気をつけるよ」
「ああ――これ、サンキュな」
見慣れた屈託のない笑みを向けられたかと思うと、それまで腕を掴まれていた手で、望美はくしゃりと頭を撫でられる。
「そうだ。この礼にひとつ、まじないをしてやるよ」
「おまじない?」
そんなものを信じるようなひとではないはずなのに。
そう訝しんだ、その時だった。
「――!」
夜ならば隠せるだろうが――いや、この月明かりの下でなら、あるいは見えてしまうかもしれない。
それほどに、その顔に鮮やかな朱を散らせ、望美は絶句した。
王子様がお姫様の手を取り、そこに口づける。
そんな挿絵の入った童話は、遠い昔、よく一緒に読んだものだったが、今、この幼なじみがしてくれた“おまじない”は、それにも似ていて――けれども、あれよりもこれは強引なものなのかもしれない。
実際、その熱を肌に感じたわけではないのに、こんなにも意識させられたのだから。
「跡が残らないようにな。傷なら舐めときゃ治るだろ」
「……なっ、舐めてなんかないでしょ! 袖の上からじゃない!」
悪戯っぽい眼差しが悔しくて、望美は噛み付くように猛然と抗議する。
「なんだ。ほんとに舐めてほしかったのか?」
「も、もう…っ! 私のこと、子供だと思ってからかってるでしょ!」
「子供、か…。そうだな…泣けるくらいに昔のまんまだもんな、お前は」
「何よ、またひとつ、自分だけオトナになったからって!」
「そういうところが、変わらないって言うんだよ――ほら。そろそろ帰ろうぜ。あんま遅くなると、さすがに怪しまれるだろうしな」
そうして差し出された手を、結局迷うことなく取ってしまうところは、やはり昔と何も変わらなくて。
それは変えたくないだけのことなのかもしれないけれど。
変わるもの。
変わらないもの。
変えられないもの。
二人の間にどれだけのものがあるのか、今はまだわからないまま。
それでも、遠いあの夏と同じにこうして手を繋ぎ、この時空のこの日を過ごすのだった。
***
と、いうことで、何とか駆け込めましたな、まさおBD。
何も言わずとも、そうあるべきものだと疑うこともなかった遠い夏の日。
だから、約束をしたのはその時が初めてだった。
明後日は何か予定があるのか、などと遠回しに探りを入れてまでして。
けれども、毎日一緒にはいられなくなって。
一緒に過ごすことの方が少なくなってきて。
もう、来年は約束すらも出来ないのかもしれない、と。
あの時から、そう漠然と感じてはいたけれど、それが、こんな理由だとは思いもしなかった。
散歩に付き合ってくれない?
既に空には月が見える時刻にも関わらず、そんな風に気安い口調で切り出せるのも、この関係の賜物。
誰も――誘われた本人ですら特に不審がりもせず、二つ返事で快諾してくれたのだから。
と、思っていたのだが。
「――で?」
「で…って、何?」
勝浦の宿から浜辺で出たところでの、幼なじみのその唐突な一言に望美は首を傾げた。
「それはこっちのセリフ。なんか、話、あったんだろ?」
「え? なんで?」
「なんでって、さっき、そういう顔してたからさ。違うのか?」
「――なんだ…。気付かれてたんだ…」
「あれで隠せてるつもりだったのか? 何年付き合ってると思ってんだよ」
「…将臣くんには敵わないなぁ」
事も無げに言われ、何やら面映いものが望美の中に広がる。
それがわかってしまうのは、やはり、この関係だからこそで――いや、むしろ、先程よりも深くそのことを実感せずにはいられなかった。
「話じゃないんだけどね。これが渡したくて…」
そう言って、望美は将臣にそれを差し出す。
「なんだ、これ?」
「誕生日プレゼント。この世界の日付って、実はまだよくわかってないんだけど、そろそろかなと思って」
「あー…誕生日、か…。すっかり忘れてたぜ」
「そう言うと思ったよ。ここって誕生日にはお祝いしないみたいだから。たたでさえ、将臣くんってそういうのに無頓着だし」
「そっか。そうだよなぁ…。誕生日、なんてのがあったんだよなぁ…」
「……そう。誕生日なんだよ、将臣くんの」
懐かしむような口調が望美の中に影を落とす。だが、それを悟られまいと努めて明るい声で言った。
「将臣くんにはほんと久々だろうし、ここって熊野なのに、運良くまた会えたでしょ? それに、私はこっちに来てから将臣くんにクリスマスプレゼントももらってるし、そのお礼も兼ねて――なんて、懐中時計に比べたら可愛げに欠けるんだけど、一応、私が作ってみたんだ」
「お前が?」
「うん。出来れば使ってほしくはないんだけどね」
「何だよ、それ」
ぞんざいに返しながらも、その表情は、以前は――時空の狭間ではぐれるまでは、見せたことのないような大人びた笑みで。
しかし、それも束の間、その中身を目にした瞬間、将臣の顔に苦渋に満ちた色が滲む。
「……これって――塗り薬、か…?」
「何、その顔、失礼しちゃうなぁ! 安心して。調合とか弁慶さんにほとんど手伝ってもらったようなもので、私がやったのは練り合わせたくらいだから。それに、ちゃんと自分でも試してみたしね。ほら!」
躊躇いもせず、望美は左袖を捲くり上げ、白い二の腕を潮の香のする夜気の中に晒す。
「一週間ほど前に怨霊にやられちゃってね。傷が塞がるまで十日くらいかかるかもしれないって言われてたんだけど、包帯も取れたし、もう結構キレイに治ってるでしょ?」
「治ってるでしょ、って、お前…! あっ、悪ぃ、痛かったか?」
勢いその細い腕を掴んだ将臣は慌ててその手を緩めはしたが、しかし、離すことはなかった。
「――ごめんな。ずっと、一緒にいてやれなくて…」
「…やだなぁ。これくらい平気だよ? こんなの掠り傷だし、それに、将臣くんには将臣くんの、ここでの三年半分の生活があるんだから」
「それは――けど、掠り傷ったって、跡とか残るかもしれねぇだろ? まだ嫁入り前なのに…」
「将臣くん、なんかそれ、お父さんみたいだね」
「笑い事じゃねぇだろ!?」
「ごめんごめん――でも、いいんだよ、傷跡くらい。それに、そんなこと気にするような心の狭いヤツに可愛い幼なじみはやれない…ってくらいには反対してくれるものだと思ってるんだけど、ちがうのかな?」
「…まぁ、それは、そう、だろうけどさ…。…可愛いかどうかは別にして」
「こういう時は嘘でもそうだって言うものだよ!」
などと、反論しながらも。
――もしも。
もしも、あのまま、離れることなく過ごしていたら、その時は自分が貰ってやるとでも言ってくれたのだろうか。
どことなく歯切れの悪い相槌に、ふとそんなことを思って、望美はすぐに打ち消した。
それは考えても埒のないこと。ただの幼なじみでいられたあの頃とは、もう違うのだから。
「――とにかく、私なら大丈夫だから。傷跡が残ったとしても勲章のようなものだし、何より、こんなに効く薬もあるしね!」
「…ったく。お前の場合、傷跡より、まず、そのじゃじゃ馬っぷりを直さねぇことには貰い手なんてないかもな」
「ちょっと、将臣くん!?」
「ほらな。そんな目、並の男じゃ、すぐ逃げちまうぜ?」
「もう! ――まぁ、別にそれでも、いいんだけどね。きっと、今は、それくらいの方がいいだろうし」
未だ将臣に掴まれたままの腕に視線を落とし、望美は静かに訊いた。
「…もうすぐ、またお別れなんだよね?」
「…ああ」
「――ほんとはね、どうしようか迷ったんだ…。ものより思い出っていうけど、今の将臣くんにはどんなプレゼントもきっと荷物になっちゃうだろうから…。縛られるものは少ない方がいいだろうし…」
「え?」
「あ…。えっと、その、将臣くんも移動が多いみたいだし、なるべく身軽でいたいだろうなと思って。だからね」
「望美…?」
「――たとえ、私が今、将臣くんについていったとしても、何の役にも立てないけど、でも、これなら邪魔にはならないと思ったんだよ。お守りとかより、将臣くんにはずっと確かな効き目があるだろうなって…。ちょっと罰当たりなこと言ってるけど」
上手く笑えているのだろうか。
先程も容易く心の内を見破られたばかりで、望美には今ひとつその自信が持てない。
「あのね、私にはこの懐中時計も、思い出も、すごくすごく大事なお守りみたいなものだけど、もしも――もしもね、私のことが将臣くんの重荷になったなら、その時は、私のことなんて構わずに捨ててほしいの」
「お前、何言って…」
「…将臣くんには何よりもまず自分のことを大事にしてほしい、ってことだよ」
「望美…」
「将臣くんは大切な幼なじみだから――どんなに遠く離れてしまっても、それはずっと変わらない…。でも、もう、昔みたいに、いつも一緒っていうわけにはいかないから……」
あのまま、向こうの世界にいても、いつかは歩む道が違っていたのかもしれない。
けれども、ここで、こうして、別たれたものは辿り着いた時空だけではなかったのだ。
今はもう、何もかもがただの幼なじみではいられないことを知っている。
知っていて、こんなものを彼に渡すのは、ひどく矛盾したことなのかもしれない。
いつかまた、そう遠くない未来に、自分はこの大切な、誰より大切なひとと切り結ぶかもしれないのだから。
それでも、目の前の――記憶の中にあった姿とは少し異なるけれど――彼を想う気持ちまでも変えることは出来ようはずもなく。
そう、たとえ、もう気軽に逢う約束すら交わせぬほど離れた関係になっていたとしても。
「……だから、もしも、何かあった時は、その薬を使って、ちゃんと自分の身を守ってね? 私の知らないところで無茶しすぎないで」
「それは…お前も、だろ…?」
「私は大丈夫だよ――私なら心配ないから。譲くんも、みんなもいるしね」
「それでも、だ。…俺のいないところで怪我なんかしないでくれよ、頼むから」
こんな表情も以前は決して見ることのなかったもの。
そのことに、どこか甘さを含んだ痛みを胸に覚え、望美は伏し目がちに――だが、深く頷いた。
「…うん。そうだね。ちゃんと気をつけるよ」
「ああ――これ、サンキュな」
見慣れた屈託のない笑みを向けられたかと思うと、それまで腕を掴まれていた手で、望美はくしゃりと頭を撫でられる。
「そうだ。この礼にひとつ、まじないをしてやるよ」
「おまじない?」
そんなものを信じるようなひとではないはずなのに。
そう訝しんだ、その時だった。
「――!」
夜ならば隠せるだろうが――いや、この月明かりの下でなら、あるいは見えてしまうかもしれない。
それほどに、その顔に鮮やかな朱を散らせ、望美は絶句した。
王子様がお姫様の手を取り、そこに口づける。
そんな挿絵の入った童話は、遠い昔、よく一緒に読んだものだったが、今、この幼なじみがしてくれた“おまじない”は、それにも似ていて――けれども、あれよりもこれは強引なものなのかもしれない。
実際、その熱を肌に感じたわけではないのに、こんなにも意識させられたのだから。
「跡が残らないようにな。傷なら舐めときゃ治るだろ」
「……なっ、舐めてなんかないでしょ! 袖の上からじゃない!」
悪戯っぽい眼差しが悔しくて、望美は噛み付くように猛然と抗議する。
「なんだ。ほんとに舐めてほしかったのか?」
「も、もう…っ! 私のこと、子供だと思ってからかってるでしょ!」
「子供、か…。そうだな…泣けるくらいに昔のまんまだもんな、お前は」
「何よ、またひとつ、自分だけオトナになったからって!」
「そういうところが、変わらないって言うんだよ――ほら。そろそろ帰ろうぜ。あんま遅くなると、さすがに怪しまれるだろうしな」
そうして差し出された手を、結局迷うことなく取ってしまうところは、やはり昔と何も変わらなくて。
それは変えたくないだけのことなのかもしれないけれど。
変わるもの。
変わらないもの。
変えられないもの。
二人の間にどれだけのものがあるのか、今はまだわからないまま。
それでも、遠いあの夏と同じにこうして手を繋ぎ、この時空のこの日を過ごすのだった。
***
と、いうことで、何とか駆け込めましたな、まさおBD。
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