ライブドアだったかヤフーだったか、あの有名なムンクの「叫び」であるが、それが盗難された際、致命的な損傷を受けており、専門家によっても修復は困難とのニュースがあった。絵画の道を志した方なら悲報として受け取られたことだろうが、ぬりかべとしては「何それ」と思ってしまった。

 文章でも音楽でも、オリジナルの原稿とか楽譜というのは、作品に対する推敲の経緯が記された第一級の歴史資料ということから非常に価値が高い。マーケットに出た際にも相応の値段がつけられることが多い。
 しかし、ベートーベンの筆の入った楽譜もせいぜい億という価値がつくぐらいで、絵画とは到底比較にならない低い金額である。絵画は、ゴッホのひまわりで58億円、ピカソのパイプを持つ少年で150億円、建造物や地跡などちょっと値段がつけられない芸術もあるが、コンパクトで移動可能な作品のなかで、絵画の金額の高さは特に際だっている。恐らく、ムンクの叫びも数十億の値が最低でもつけられる作品だ。これらは本当に馬鹿げたことであるとぬりかべは思う。

 言うまでもなく、文章はコピーできる。
 芸術的な価値が高いと言われる文学作品の多くを、僕らは小遣い程度出せば簡単に手に入れることができる。音楽もそう、CD一枚買えば、いつでもどこでも好きなときに好きな場所で、僕らはオリジナルと遜色ない音楽の芸術を味わうことが出来る。文章を作者の書いた生原稿でなければ、音楽を当時の作曲家の生演奏でなければ、感動を味わえないと言うのは愚かなことだろう。しかし、絵画はそうではない。
 面白いことに、絵画は複製品を激しく差別する。オリジナルの価値ほどには複製品の芸術性を認めようとしない。絵画の感動は、オリジナルからしか味わうことが出来ず、複製品からは感動の波はもたらされない、そういうことに、どうもなっている。

 これは虚実であるとぬりかべは思う。しかも相当、タチの悪い虚実だと思う。

 巧妙に複製された絵画は、印刷された文章や楽譜と同様、人々の視覚神経に与える影響は同じだ。それがオリジナルしか人々を感動させないと言うのは、迷信にほかならないと考える。ぬりかべは絵画を見る才能は全くないが、作者の意図を正確に理解した上で、同様の材料で同様の技法で正確に模写した作品が、認められないのはどうも納得がいかない。歴史資料としてはともかく、芸術的な価値としては同等に近いはずだと確信する。
 どうして絵画は複製の価値を認めないのだろうか。それは芸術が人々に伝播することを否定することだ。その時代、その瞬間に、文章や音楽と同様に、絵画も革新的な役割を担い、人々に感動を与えてきた。既存の価値観を打ち壊し、新しい価値観を提供することが芸術ではないのだろうか。

 冒頭の話に戻るが、ムンクの「叫び」が失われたからと言って、叫びがこの世に与えた偉大な業績や影響が、過去に遡って消えるわけではない。さらに、叫びの芸術が失われたわけではない。叫びの複製や模倣は、数え切れないほど、この世に残っているのである。第1級の歴史資料が失われたことは悲しむべきだが、芸術が損なわれたわけでは全くない。まるで、芸術が損なわれたように、ムンクが消滅したように語るのは、絵画の虚実や迷信を信仰している人達だけではないだろうか。

 ちなみに、絵画の造詣の深い人のために、贋作と真作を見分けるサイト。
 http://reverent.org/true_art_or_fake_art.html

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