前にも自分の文章の話を書いたけれど、さてそれから多少は何か変わったかな・・・というとどうだろう?

高校の頃、二次創作を書き出した頃に飛躍的に国語・・・特に現代国語の成績が上がったことことがあって、同じく成績の上がった友達と「いやぁ、例え○おいでも文章を書くっていいことだねぇ」と笑い話になったことがある。

どんな形でも、頭の中のもやもやをまとめる力って重要で、日々鍛えないといけないのだと、こうして週番自由帳を書いていてひしひし感じる。

実は、このサイトを立ち上げて縁があって最初にSSを書こうということになったとき、意識して自分の今までの文体とは違う書き方をしようと思った。

高校までの文章は、ガンパレ切な系お題の「セピア」のような文章だった。
堅めで、一文が途切れず長い。くどい文章。
これに倒置法が多用され、主語が省かれるとまさに高校の頃書いてた文章になる。(もぞさんはこれ知ってるから大爆笑かもしれん・笑)
だからゆにぽんでSSを書こうと思ったとき、
「倒置法は使わない」
「主語は省かず分りやすく書く」
「一文を短くする」
という誓いを密かに立てた。

文章訓練というのが目的だったし、高校時代からブランクもあったから自分の文章のカタチというのをつくるために、手探り状態ではじめようというのがあった。

一年たって言える話。
一口メモ>もぞに『ボーボボ』の話をしても食いついてこないのに、『いちご100%』の話をすると食いついた上に語り始めてしまうのはどうしてだろうか。

***

 犬に名前を付けてやると、すぐに犬はそれが自分のことだということを認識する。人間の命令に従って、しゃがむことも前足を差し出すことも、なんなく覚えてやってのける。要するに、犬はとても賢い動物だ。
 古代の洞窟の壁画に犬と一緒に狩りをする人間の姿が描かれている。それからすると、なんと人間は一万年もの昔から犬を飼っていたということになる。人間にとって、犬を飼うことで得られた利益は大きかった。犬は狩りの助けにも緊急時の食糧にもなったからだ。そればかりではない、犬がいたから人間は樹上生活から解放されたのだという学説もある。
 当時、人間は樹上が唯一の安全圏だった。外敵から身を守る完璧な術を持っていなかった。すでに火は得ていたが、なにせジャングルで火を焚くとそこに突っ込んでくる動物(サイとか)もいたので役に立たなかった。
 しかし、犬が友達になった。その優れた嗅覚をもって外敵の接近を知らせてくれるようになった。そこで始めて人間は樹から下りて安全に生活することができるようになったのである。犬がいなければ、狩りも満足にできなかったし、農耕に到達することもできなかっただろう。つまり、犬は人類発展の立役者だった。

 しかし、ライオン。
 ライオンだ。
 ライオンととなるとこうはいかない。
 ライオンを個人的に飼っている奴に巡り会ったことはないけれど、しつけもやってやれないこともないのだろうが、いかんせんライオンにしつけは命懸けだろう。しかもネコ科だ。気まぐれの代名詞のネコのことだ。人間の言うことなど聞くはずもない。暇だから遊んでくれと言われても、そうそう迂闊に近づけるはずがない。気まぐれにパクリとやられれば、あぁ案外おいしぃなんてことになって、それからガジガジいかれそうだし、仮に無邪気に抱きつかれるだけでも、ゴロゴロと回転され無造作にじゃれられれば、それだけで重傷となるのは間違いない。犬とは全く違う。
 結論から言うと、犬は飼えるがライオンは恐ろしくて飼えない。なにせ百獣の王だ。彼らにはジャングルを守る使命も生まれながらにきっとある。人間に飼われるなど自尊心が許さないだろう。

 しかし。
 しかしだ。
 犬を飼う、言い換えれば友達になることで発展した人類は、いまやライオンと友達になる必要がある。犬と友達になったように、ライオンとも友達になれる。乗り越えることができる。
 この場合、ライオンに犬と同じように接する必要はない。ライオンにはライオンにふさわしい仕事をやってもらえばいいことだ。それは、ジャングルやサバンナの食物連鎖の頂点に立つというだけのことかもしれない。ただそれだけの仕事で、犬ほどには直接的には人類に貢献しないのかもしれない。人類と全く別の世界で、生きてもらうという結論。だがそれでいいのだ。
ライオンの存在を認めず、分からないから殺してしまおう、なんていう結論よりはマシだと思う。

 人間はよく分からないものに敵意を向ける。
 陰口を叩いたり、不当な差別を向けることができるのは、実はよく分かっていない人間に対してだ。よく分かっている人間に対して、激しい怒りを持続できる人間はあまりいない。
 身近な人間に対して、全て人間と犬のような関係を求めるのは間違っている。全く利益のない、それどころか近づきすぎると怪我をして損をするような人間とライオンのような関係もある。

 悪感情を芽生えさせず、かといって期待せず油断せず、有益でも有害でもない無益の関係。開いているか閉じているか分からないような関係だが、実は大きく開いている。そのような人間関係を築くのは難しいが、必要なことだ。
(例文)「マヴァール年代記2より」
 アンジェリナは跳んだ。殺到する騎馬を避けて後方に跳んだのではない。上に跳んだのだ。跳ぶと同時に剣をひらめかせる。
 剣光に血光がつづいた。アンジェリナの腕に、強い手応えが伝わってきた。剣をつかんだままの腕が、噴血の軌道に乗って宙を飛び、剣客の口から絶叫がほとばしった。

 過去の田中先生の文章は、一口で流麗です。長文になってもスラスラと読め、疲れないのですね。代表作の銀河英雄伝説を連載リアルタイムで読みましたが、当時こんな面白いエンターテイメント小説は他にないと思いました。それが、ぬりかべが小学校3年生くらいの頃でしょうか。小学生で理解できたわけですから、素晴らしく分かりの良い文章だったということです。
 しかし、最近は田中先生、不調です。
 不調というか、なんというか、もう駄目だという感じです。アルスラーン戦記を現在も連載中で数年ごとに刊行されていますが、それを順を追って読んでいくと凋落というか、衰弱ぶりがありありと分かります。細かい説明ははぶきますが、要するに面白くないんです。

 田中先生の悪口や愚痴は言い始めたらキリがないというのは、同好のファン成らずとも分かって頂けると思いますが、――いいところ、このへんにして。
 例文をいきます。もう一度読んでみて下さい。

(例文)「マヴァール年代記2より」
 アンジェリナは跳んだ。殺到する騎馬を避けて後方に跳んだのではない。上に跳んだのだ。跳ぶと同時に剣をひらめかせる。
 剣光に血光がつづいた。アンジェリナの腕に、強い手応えが伝わってきた。剣をつかんだままの腕が、噴血の軌道に乗って宙を飛び、剣客の口から絶叫がほとばしった。

 文書を分解、分析すると――
 第1段落 第1文 10音 過去形
      第2文 25音 現在形 否定形
      第3文  8音 現在形
      第4文 16音 現在形
 第2段落 第5文 15音 過去形
      第6文 24音 過去形
      第7文 51音 過去形

 第2段落のみに注目すると、15音→24音→51音と増加しています。これは前回に説明した文章のリズムがとられているということですが、よく見ると、第1段落の第3文からすでに増加傾向にあります。
 そうです。実は、8音→16音→15音→24音→51音の5連コンボなのです。
 しかし、そうなると、第2文の25音がいかにも奇妙です。
 なぜ、ここに、25音とっているのか? 言い換えて言えば、なぜ第1段落の途中からリズムのコンボが始まっているのか。
 文章のリズムを壊すくらいなら、段落替えを行ったり、文章の組み替えを行うべきところでしょう。なぜか?
 それは、ここで物語の流れが変わっているからです。第2文で流れを変えて、変わったところに5連コンボ(第3文〜第7文)をぶつけているのですね。しかし、第一段落の第3文と第4文は現在形をとっており、第5文以降第2段落全て過去形で、綺麗な形の5連コンボとは言い難いです。変則的というか、第2段落の3連コンボにうまく繋げるために、第3文と第4文はテンポを合わせているだけと言った方が正確かもしれません。
 第2文で、どう物語の流れが変わったかというと――

 第2文 殺到する騎馬を避けて後方に跳んだのではない。

 この第2文を皮切りにアンジェリナは反撃に転じます。簡潔に言うと、跳んで、斬って、敵の腕を切り落とすのです。
 だから、ここから反撃に転じますよ〜というのを読む人に分かるようにするために、第2文はやや文章が長いのだと思います。さらに否定形で、加えて現在形なのもそのためです。文章に特徴づけて、意味をとらえるよりも早く、リズムで場面転換を分かるようにしているのですね。

 第1文   アンジェリナは跳んだ。
 第2文(改)しかし、殺到する騎馬を避けて後方に跳ぶほどアンジェリナは      愚かではない。  

 上の文章は、ぬりかべ的にもっと強調してみた場合です。使い方によっては、読む人に登場人物のことを理解してもらう肝の文章になりえます。ちなみに、物語ではアンジェリナはかなり好戦的なお姫様ですから、「愚かではない」というのは間違った導き方かもしれません。好戦的な人だというのをアピールするためには――

 第1文   アンジェリナは跳んだ。
 第2文(改)しかし、殺到する騎馬を避けて後方に跳ぶほどアンジェリナは      臆病ではない。

 こんなものですかね。勇気のある人だなぁというのは伝わると思います。

 まとめると以下のような感じでしょうか。

 (例文)「マヴァール年代記2より」
 アンジェリナは跳んだ。殺到する騎馬を避けて後方に跳んだのではない(否定形、過去形、文章量増加で場面転換を示唆)。上に跳んだのだ。跳ぶと同時に剣をひらめかせる(コンボに繋ぐためのテンポ合わせ、以下に3連コンボが続く)。
 剣光に血光がつづいた。アンジェリナの腕に、強い手応えが伝わってきた。剣をつかんだままの腕が、噴血の軌道に乗って宙を飛び、剣客の口から絶叫がほとばしった。

ってなところで。
学生時代、通学に片道2時間近くかかってましたので、車中で寝てなければ、ぼけ〜っとひたすら妄想に浸る毎日を送ってましたが、それもなくなった今は、大抵、一人でいられる場所で徒然なるままに思いをめぐらせています。その最たる場所はお風呂場。一人きりの世界に籠もれるので、昔から物を考えるには私にとって最適のところ。身も心も洗われ、それまで煮詰まっていたことをリセット出来たりして、多少なりとも気分転換になるんですよね。

そんな私ですので、萌え神様にネタのお告げをいただくべく、祈りを捧げるというのは、お風呂に入ることなのです。
ただ、普段から不可思議極まりない夢(それもどちらか言えばダーク系)を見るサホですが、認めたくないことに、妄想も、これまた奇天烈なモノに捕らわれがちでして…
お風呂の中で、役立てそうな妄想が膨らむのはいいんですけど、時々、不意に思い浮かんだそれに、ぎょっとすることがあります。
既にUP済みのネタで挙げるなら、例えば、がらかめ劇場だとか、学園抄やお洗濯リズ先生のネタは、まさにそこでの妄想がきっかけ。この辺はまだしも、時には皆様に私の精神状態を疑われるのではないかというような、それはもう痛暗いネタを思いついたり。

問題なのは、これって身も心もリラックスしているはずのお風呂の中での妄想だということです。
様々な柵から解き放たれた私の精神って実は、笑い半分・邪半分な世界や、底なしの暗黒世界で満ち溢れてるとか…???
まぁ、そんな暗黒神話ネタも、発想の元なるものが別にあるのは救いですけど(←後になって、以前読んだことのある物語影響だと気付いたのでした)、それが、私の中で一から生み出された妄想だったら、本当に自分で自分が恐ろしくなりそう……

それにしても、せっかく気持ち良くお湯に浸かってるのですから、萌え神様にも、もっといい萌えをささやいていただけると本当に嬉しいんですけどねー…。とはいえ、実は妄想力が働くというか、ネタを思いつく瞬間というのは、湯船の中ではなく、髪を洗ってる時が一番多かったり。
洗髪って、これといって複雑な動作もなく、無心で出来ることであり、しかも、泡を流す時って、滝に打たれてるというと大袈裟ですが、シャワーが自分を外界からシャットアウトしてくれるような気がするんですよね〜。目を瞑れば、それも当然のことですが(笑)
これって、ひょっとしたら、頭のツボ刺激が脳の動きを促し、妄想力を活性化してくれるお陰だったりするのかも。なんて実に胡散臭い推論ですが(笑)

あと、そんな“禊時間”、妄想力が働いてない場合、不思議と歌のサビだけ延々と回るんですよね。それも、好き嫌いに関わらず、流れ出すともうエンドレス…。そのリピートを止めたいがために、妄想に走るということもあったり(苦笑)

…うーん。
こうして改めて考えると、我ながら、萌え神様への祈りの捧げ方がどうにも風変わりな気がしてなりません。こんなふざけた祈り方が災いして、妙な妄想に取り憑かれてしまうのでしょうか? だから、あまあま世界を目指すはずが、いつしかダークサイドへ誘われるのやも……
せめて湯船の中で精神統一して、萌え神様にご降臨をお願いする方が、やはり作法として正しいという気もするような…。
皆様はどんな風に萌え神様と交信されてますか?
もぞねーさんに引き続き、私も京旅行記です。
実は今回訪れたところは、割と日頃の行動範囲内だったり、初めてではないところの方が多かったので、観光というよりは道案内役に徹する心構えでいたのですが、意外や意外、私にとっても、いつもとは違う、実に新鮮な目線で楽しめた旅でした。

随心院は私も初めてでしたが、その感動と興奮(笑)は重複するので省略。
その後、八坂神社を訪れたのですが、偶然にもその日、居合い抜きの流派の祈祷か何かがあったようで、神殿の前にある舞台でその技を披露というのか奉納というのか、間近でその様子を見学することが出来たのでした。
八坂神社は何度か行ったことがありましたが、生で居合い抜きを見るのは初めてだった私。最初はただただ感服するだけでしたけど、今回は幕末的スポットもめぐってましたし、すぐにも新撰組妄想が広がりはじめ、やがて、抜刀といえば「るろ剣」思い出すなぁ、とか。遙か3も浮かびましたけど、リズ先生や神子というよりは九郎さん萌えに走ってみたりとか。こう、武士の凛々しさみたいなのを感じ入ったからでしょうね。
しばらくして、女性の方が登場されたので、そこからは壬生屋妄想がばっちりでしたが、これは剣技そのものよりも、袴姿の時の所作というものの方が気になったので、萌え目線というよりは、私にしては珍しく、ちょっとマジメな観察目線と言えたでしょう。

しかし。
やはりというべきか、この私にそんなお勉強モードが長く続かことはなかったのです。袴姿に注視するあまり、気づいてはならぬことに気づいてしまったのでした。

黒袴の上が黒胴着……。
はっ! これって“死覇装”と同じだ――!!!

その瞬間、それまでの妄想は見事、彼方へとすっ飛び、脳内はBLEACH一色。サホビジョンに映る剣を振るう方々は“死神”そのもの、手にされている刀も、もう“斬魄刀”にしか見えない!
よもや京都観光でこのような鰤萌えが広がろうとは…! そんなにハマってるのか? いや、ハマってるんでしょうけど(笑)
それだけなら、まだ許容範囲な連想と言えたでしょうに、どうして、そこから「けど、ここにいらっしゃる皆さんの袴の下がクラシックパンツってことはないんだろうなぁ…」と密かに冷静に(?)分析して、落胆しているのでしょう!!
恋次に限らず、現世組より死神贔屓なのも、フンドシ着用が理由ではないはずなのに! (恋次の炎柄のそれは実にツボでしたけども…)
と、いうより、私って私って、一体いつから、それほどまでにフンドシ愛好家になったというのでしょうかっ?
いやいや、もっと問題なのは、それが神社の本殿前で悩む事柄か――!?

微妙に(微妙?)何かがおかしい気がしなくもない中、旅路は続き…。
そうして、訪れたるは三十三間堂。
そこは通りかかることはあっても、中には入ったことがないという名所。
いつかは拝観してみたいところで、遙か3プレイ後、その思いは更に強まったのですが、いざ拝観してみると、意外なくらい、遙か萌えな目線ではなかったのでした。
観音様の中に知った顔があるかという話を昔から聞いたことがあったので、ついつい“ウォーリーを探せ”的に夢中になってしまったからです。けれど、そんな見知ったお顔の観音様は全く見つからない〜(笑)
そんな目線半分、そして萌え目線で語るならば、遙かより、むしろ「聖伝」が懐かしく思い出されて。観音様の前に二十八部衆の像があったので、「ほんとは男性だったのね」と思ったりだとか「この人とあの人がフフフ…」だとか。そんな含み笑いをかみ締めつつの不謹慎な拝観でしたが、それは不意打ち的な出合いでした。
もうそろろそろ終わろうかという辺りに安置されていた像に思わず目を奪われるサホ。それはもう実に私好みなマッチョ具合で、何だか妙にムンムン!きゃっvvv
萌え目線に走りがちな自分というものは自覚してましたけど、まさか像そのものにときめくことがあろうとは、いろんな意味で有難い眼福を得た心地でしたとも(笑)

けれども、今になって考えてみると、八坂神社といい、神様を目の前にして、それって、妄想というには、もうあまりにも邪目線すぎ…?
お花見を兼ねた春のひとりプチ旅行とは違い、今回は萌えを共有出来る、心強すぎな道連れがいたからという理由があったからかもしれませんが(笑)それにしたって以前の目線とは変わりすぎているような…。昔から妄想家ではありましたけど、ここまで邪ではなかったでしょうし…。
でも、初めてのところも、そうでないところも、こうして、それぞれに心潤う楽しい旅の思い出が作れたのも、萌え心があってこそですよね!
だから、神様。そんなちょっぴり不埒な目線も大目に見て下さい。
6月11日。
にらサホもぞの三人で行ってきました、随心院。
私にとっての随心院は平安時代の歌人・小野小町の住居跡、という場所です。
が、遙か1をプレイした方にとっては友雅さん縁の場所なのだそうで。
京都市役所から30分くらいかけて地下鉄使って行ってきました。

小野駅に到着し、そこから随心院への道程はほんのり坂道。
「神子様は健脚だぁ」
にらが呟く。
「馬がなかったら行けないって」
「あはは」
遙かの話をしていると気付いて思わず笑う。
「一日、三カ所巡るのが限度ですよねー」
サホの言葉に頷くにら。
「そうそう。ま、頼久さんなら神子様担いで行くだろうから大丈夫だろうけど」
微妙な萌えトークを展開しつつ、到着。

まずは、小野小町の資料がある本堂を拝観する。
この本堂から見る庭は大変美しく、特に苔の絨毯は雨に濡れ本当に綺麗でした。
梅の頃にくればまた、庭園を楽しめたのかとも思ってましたが、梅雨の時季はそれはそれで趣があります。

本堂を出て、つらつらと歩いていると、サホが「ああっ」と突然立ち止まります。
「どうしたの」
「…絵馬にイラストが描いてある…ような気がする」
ふと彼女の目線を辿ってみると、そこには多数の絵馬、そして…
「うわ、友雅さんがいっぱいいるっ」

…そうです、ここは随心院。
遙か1の友雅さんファンにとっては聖地も同じ。
吸い寄せられるように絵馬を見てみると…どこ見てもイラストが…!!!
ペン一発描きで素敵友雅を披露する絵馬の数々に「はぁ」とため息と微妙な笑いしか出てこない一行。
「すごいなぁ…」
中には橘友雅名義のものまであって、なりきり具合に「見習いたいねぇ」と呟く私。
その時…

「あーっ!!!」

突然叫ぶにら。
「今日は何だっけ、6月11日だっけっ」
焦る彼女が指さす絵馬は、その日の日付と友雅さんのイラストが。
まじまじとその絵馬を見ると…
『6月11日、お誕生日おめでとう』
の文字が…!
「やばい、わ、忘れてた」
「「まさか…」」
「友雅さんおめでとーっていうのを、忘れてたぁっ」
「…友雅さんが今日の誕生日だってこと、忘れてたってこと?」
「有り得ない…忘れてたよ〜、やばいよ私〜」
ファンの鏡のような方が描かれた絵馬を前に一人身悶えるにら。
「で、でも、誕生日のこの日に随心院に来られたんだから、良かったじゃないですか」
慰めるサホ。
「そうよ、まるでそう、運命のようだよね。狙ったワケじゃないのに誕生日に来られるなんて」
「………」
「で? 友雅さんの誕生日、何かするの?」
ニタニタしながら尋ねてみる。
そしてにらは真顔で答える。
「うあ、そんなすぐには無理ぃ…でも、考える」
恐るべし随心院(に訪れるファンの皆さま)。
にらに萌え活動を喚起させるとは。

ところで、随心院以外にも、遙かにちなんだ場所を訪れてみましたが、こんな萌え絵馬があったのはここだけでした。
邪な萌え目線での観光客万歳(自分も含めて…)!
にらもサホも、わりと好きになったモノに対して忠実に叫んでいるようなので、私も少し見習ってみよう企画。
***
初めてキャラ萌えした相手。
うーん、一番に思い起こす相手なら一人います。
おそらく、キャラ萌え嗜好の方向性を決めた男と言っても過言ではない人物。
これから先、少しゲームのネタバレを含みます。
バイオハザード系統を未体験の方でネタバレアウトな方は回れ右っなのよ。
***
友人の家にお邪魔した時、出逢ったゲーム、それが『バイオハザード2』――言わずと知れたカプコンのホラーアクションゲームである。
そもそもゲームは『サカつく』とか『ドラクエ』とか『マリオ』とか、そんなジャンルばっかりだったので、まさに初体験がそこには待ち受けていた…っていうと大袈裟かな。
具体的に言うと。
ゾンビが近付くとぷるぷる震えるコントローラにまず興奮し、銃を撃つその衝撃にまた驚かされ。
五感が刺激されるゲームに初めて出逢った私は、3日間プレイし続けた。
面白い、面白すぎた。
難点と言えば、そのソフトがアメリカで発売されたものだったということ。
謎解きが全て英語だったので、攻略に手間取った、えぇかなり(泣)
でもこの体験のおかげで、バイオの日本語版を買ってやる、そう決めた。
***
ここからが本題。
そんな私が購入したのが『バイオハザード CODE:Veronica』。
私がプレイしたのはドリームキャスト版。
2でプレイしたクレアが主人公であったことが購入の決め手。
オープニングの映像は迫力満点で、かつ大変美しいものだった。
ゲームのCGがこれほど綺麗だとは――もう、私の心は盗まれたも同然である。
そして、この作品に彼が登場していたのだ。
少年の名はスティーブ=バーンサイド。
見た目は若くて自信家なレオ様。
性格はお調子者らしいのだが境遇のためかねじれていて、クレアとの初対面はカンジの悪い男であった。
そして威勢がいいわりに若さのためかツメが甘い。
そしてそして本当はとても良い子で、どん底から這い上がるガッツもある。
そしてそしてそして主人公クレアに恋心を抱くというおまけ付き。
どうしてはまらずにおられようか(反語)
***
そういうことで、私の初キャラ萌えの相手はスティーブです。
クレアが「スッティーーーィヴッ」と叫ぶんですが、ゲームしながらクレアと一緒によく叫んだものです(遠い目)
彼に二丁拳銃を持たせてやりたくて罠にはまってみたり、泣いているスティーブに何度も声をかけてみたり、無駄な行動を繰り返してしまうほど、スティーブに夢中。
クレアとスティーブの初キス?のときは本当に大喜びしたものです。
年下からの愛情に戸惑うクレアが歯がゆくて「えぇい、いってしまえスティーブッ」と口にしたことも懐かしい…
コードベロニカはホラーアクションよりもドラマ性に優れた作品といわれ、その点がまた賛否両論あるんですが、ドラマ性なくしてスティーブにはまることはなかったと思います。
巨大企業アンブレラ、アンブレラをも欺くウェスカー、天才科学者アレクシア、そして真の主役とも言えるクリス&クレア兄妹――の戦いの中にあっては、スティーブはただの脇役。
クレアに出逢うまで不幸の中にあった彼の最期は、何度見ても涙が出そうです。
そして、その後にクリスが登場するせいで、クレアがどこまでスティーブを想ってくれていたか分からないあたり泣けてきます。
もしかすると再登場もあるかもしれませんが、悲しく切ない展開にしかならなそ…う。
……でもクレアが少しでもスティーブを愛してくれるなら、もう一度くらい出てきて欲しいかも。
***
そして。
今現在愛を注ぐキャラクターを眺めてみると、スティーブとの共通項がちらほら。
?今はナイト「気取り」でも、将来は本物になる可能性が高い
?葛藤がある
?あまり報われない
?好きになる女が男前かしっかり者

誰とはいいません、えぇ言いません。
あと声を大にして言いたいのは、決して「少年」萌えしているわけではないということです。
家政婦として働く「私」は、ある春の日、年老いた元大学教師の家に派遣される。彼は優秀な数学者であったが、17年前に交通事故に遭い、それ以来、80分しか記憶を維持することができなくなったという。数字にしか興味を示さない彼とのコミュニケーションは、困難をきわめるものだった。しかし「私」の10歳になる息子との出会いをきっかけに、そのぎこちない関係に変化が訪れる。彼は、息子を笑顔で抱きしめると「ルート」と名づけ、「私」たちもいつしか彼を「博士」と呼ぶようになる。
                    (Amazon.co.jpレビューより)

***

「博士」の記憶のテープは17年前から壊れたまま、80分を越えては記憶されず、壊れた時点に巻き戻る。
だから彼は古びた背広のいたるところにメモを留めている。
毎朝「博士」が一番最初に目にするメモは、
「私の記憶は80分しかもたない」

「博士」には義理の姉がいて、「博士」は離れ、義姉は母屋に住んでいる。
二人の間にはどんな絆があるのか・・・「博士」が17年前に会った事故にも関係があるようにも思え・・・「私」と読者は思いを馳せ、揺れ動く。
しかしその謎は最後まで明かされず、静かに終わりを迎える。
穏やかに事象を受け入れる登場人物の姿が美しくも切ない。

独特の暖かさと切なさを持った淡々とした文章ながら、家政婦の「私」が、数式の美しさに新しい世界を見る喜びは幻想的に語られ、そのアンバランスさが効果的。
心に迫ります。
*  
*  好きな男の子に
*  何を言ってどうふるまえば
*  愛し続けてもらえるかしら



毎日電車で見かける男の子「ナミ」に、親の転勤を前に告白することにした「ナツエ」は、彼に近づくと体が光るという不思議な体験をする。結局告白できないまま逃げてしまったナツエだが、転校先でナミに再会。光るナツエに興味を持ったナミからの誘いで夜にたびたびふたりは会うようになる。

でも、それは光る私を見たいから・・・?

表題作「幼い恋」より

***

大胆な構図とそれに負けないぶっとんだ設定。
絵柄も独特で圧倒されます。

橋本みつるさんとの出会いは、若木未生さんの小説「グラスハート」シリーズ(コバルト文庫)の挿絵。
人物の表情、特に目の表現が印象的でした。
コミックを読んでみたら文章使いもすばらしく、大好きです。

表題作以外に「背中をどうにかしてくれ」と「誘惑について」が同時収録で入ってますが、後書きまでどきどきしながら読めます。
「幼い恋」は残念ながら在庫切れ(アマゾンでは)・・・なのですが、何作か出てますのでぜひ機会があればお手にとってみて、というか、まず「グラスハート」の表紙を見てください!秀逸です!!!
 奇妙な友人を持つもので、それが言ったことには――
「日本も精子バンクをつくらなきゃいけない」とか。
 なんで? と聞くと、
「これから先は少子化で子供が少なくなる。子供が少なくなれば日本の将来が危なくなる。日本を安泰にするために、優秀な遺伝子の子供がたくさんできる仕組みを作っておかなければならない」――のだそうだ。
 とどのつまり、発明家やスポーツ選手の優秀な遺伝子を広めるような体制を整えれば豊かな社会が維持できる、というわけ。

 本当にそうなのか? と思った。

 その理屈でいけば、日本がアメリカに負けたのも、インカ帝国が滅びたのも、インディアンが追い立てられたのも、みんな全て遺伝子が劣等だったからということになってしまう。本当にそうなのか。
 違うと思う。人間の能力が遺伝子の向上によって多少伸びたからといって、社会が豊かになる保障はないし、まして個人が幸せになれる道理もない。もっっと異なる因子が、幅をきかせているとぬりかべは思う。

 例えば、幕末の時代、日本は諸外国の干渉を廃して、驚くほどの速さで欧米の文化を吸収し文明開化を成し遂げた。それは日本人が優秀な遺伝子を持っていたからではない。西郷隆盛、坂本龍馬の薩長同盟に代表される倒幕勢力の早期結合と、庶民の識字率の圧倒的な高さがあったからである。早期に内乱状態を脱したから庶民の殺戮が少なかったし、そのうえ識字率が高かったから欧米の文化吸収が早かったのだ。

 そこに遺伝子とか、個人の能力の高さとかのつけいる隙はない。人間の世界はチーム戦なのである。個人の高さを伸ばす以上に、内部で揉めていたり、文化技術の伝達が遅れていれば、それだけでチームの力は弱くなる。逆に言えば、揉めることが少なく、揉めてもすぐに解決可能で、逆にそれを乗り越えることでさらに団結することができ、また、誰かが得た新しい技術をすぐにチーム内全てが知ることができる、というような体制づくりができるチームは最強となるということだ。

 個人レベルで遺伝子の優劣を競うことは、社会や国レベルで見て何の意味もないと思う。それよりも行政や司法の改革にお金を使う方がかなりましに思える。まして個人が幸せになれるかどうかということとは全く無関係だ。

 話は少しずれるけど。
 常に自分の心のなかに相克を抱えこむ人がいる。一つのことを知っても、他のことに応用できない人がいる。それらのことに手一杯で他人の感情を省みることができない人がいる。チーム戦とか何とかいう前に、実は己自身を御し切れてない人がいるのだ。もちろん社会というのはそういう人間をも組み込んで成り立っている。一生の命題かもしれないが、本当の意味で豊かになるには、それらを克服する必要があるのかも知れない。
   一口出来事:ニラに質問した。
         「ガンダムをドラえもんに例えて言えば、
          アスラン=ザラは、登場人物のどれにあたる?」
         ニラは熟考してから答えた。
         「かろうじて、ジャイアン」
         みなさん、ジャイアンだそうです。



            賢者は歴史から学ぶ

 面白いサイトを見つけた。

 「賢者のラスベガス」
 http://www.e-town21.com/lasvegas/index.htm

 ラスベガス旅行を無料に近づけようという趣旨のサイト。要するにポイントやキャッシュバックが用意されているカジノで、なるべく持ち金が減らないように勝負を重ねれば、勝負には勝たなくてもポイントが貯まり、おのずと旅費が安くなっていく、というもの。
 しかし、実行に移すには、ささやかながら英会話が出来なければならないし、システムやゲームのルールを熟知する必要がある。

 しかし、その一つ一つが困難かと言うとそんなことはない。
 高度な英会話は必要ないし、ゲームのルールは楽しみながら覚えられる。言ってしまえば、実は簡単なことだ。
 しかし、その簡単なことが積み重なってくると、途端に難易度が高いように思えてくる。手が出せなくなってくる。
 そして、そのことはラスベガス旅行に限らない。

 僕らの世界には多様なルールがあらかじめ決められている。その一つ一つは理解することも解決していくことも容易なことばかりだ。だが、それらが複雑に絡み合い相互に干渉しあうと、僕らは手出しが出来ないように思えてしまう。腰が引けてしまい、手が出せなくなってくる。
 その結果、しなければならないことをしなかったり、してはいけないことをしてしまって、ルール違反を行いペナルティを受けることになる。自業自得だが痛い目を見ることになるのだ。しかし、そうやって僕らは成長していく。いろいろなルールを覚えて大人になっていく。

 しかし、ここで古人の言葉を引用する。
 古人は言う。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 ここでいう歴史とは他人の経験から学ぶということも含む。僕らは痛い目に遭うまでは、ごく簡単なルール違反にさえ気付かない。でもそうやって自分だけの経験に学ぶことは危険なことだと古人はいうのだ。出来れば、苦労して時間をかけて学んでおけ先に知っておけ、と言うわけだ。

 それで、ここで面白いことに、歴史から学ぶということは、実は現代の世界ではそちらの方がオリジナリティに富んでいる。経験に学ぶと言うことは、同じ時代、同じ境遇に生きていれば同じような経験をするわけで、オリジナルを主張できるようなものではない。結局、オリジナリティは、他人がしないような特異な経験なしでは得られないということになるのだ。しかし、歴史から学ぶということは、他人の経験であれば数十億人、過去の記録からはそれこそ数千年である。質及び量ともに経験とは桁が違う。たかだか二十年程度の経験では得られないものが、歴史からは得られる。

 ――というような話を、有り難くもニラとモゾにしてやった。
 ニラとモゾの反応。
「具体的にどうすればいいの?」
「本を読んで、人の(ぬりかべの)話を真摯に聞けばいいんだ」
「へー」
 ニラとモゾは、人の話をそっちのけに、こいこいセブンを見始めた。
「面白いねー」

 古人よ。愚者がここに二名います。
それは未完の名作少女マンガ『王家の紋章』(細川 智栄子他著・秋田書店)のヒーローの御名。

ご存知ない方のために大雑把にストーリーをまとめると、
ファラオへの生贄にすべく、呪いをかけられ、古代エジプトに連れてこられた考古学専攻中の大富豪令嬢キャロル。
現代人の知恵と、古代エジプトでは珍しい金髪の白人という容姿を持つことから、彼女は「ナイルの娘」と崇められるようになり、やがて、そのファラオ、メンフィスと恋に落ちるものの、弟・メンフィスに恋焦がれるアイシス(キャロルに呪いをかけた張本人)に命を狙われたり、ヒッタイト国のイズミル王子をはじめ、「ナイルの娘」に想いを寄せる各国要人たちに、ことあるごとに誘拐されたり(笑)
恋と覇権の争いに巻き込まれ、その都度、助けてもらえるのですが、そうすると今度はナイル川から現代に流されてしまうという。
現代に戻ると古代での記憶が思い出せず悶々とする日々ながら、決まって、またナイルの川が彼女を過去へと戻してくれるのです。で、そこで、また記憶を取り戻し、愛しのメンフィスと再会するも、また攫われて離れ離れ、救い出されても現代へ流され――
と、原作が手元にないのであれですけど、まぁ、そのお約束パターンと言って差し支えないかと。

さてさて。私が初めてこの作品の存在を知ったのは、あれはまだ小学校低学年だったような。友人の年の離れたお姉さんが所有されていたのを目にしたのが最初の出合いでした。あの濃い絵柄のインパクトは相当のものでしたが、当時の私の食指が動かされることもなく、そのまま時は流れ、中学生になった私。
中耳炎を患い、耳鼻科通いしていたのですが、その時、待合室で発見したのが『王家の紋章』の第6巻。すんごく暇だったので、少々苦手意識はあったものの、退屈しのぎに手にとってみたのですね。それも、そんな中途半端な巻を(苦笑)その巻しかなかったので仕方なく。

ページをめくり始めて、それはすぐにでした。こ、これは――っ!!
初めて読むのがそんな途中の巻なので、当然、人間関係はよく分からないのですが、ライオン狩りの命懸けの展開の中でキャロルとメンフィスの愛が深まるというような、とっても“動”な展開部分だったので、思いの他、ぐいぐいと作品世界に引っ張られ、気付けば買い揃えていて(笑)

今と違って、当時は私の周りもマンガ好きは多かったですけど、やはり、あの絵柄にちょっと…となっている子ばかりでしたが、見事王家ブームを巻き起こすことに成功。読んでみると、あの濃いお約束世界はなかなかやみつきになるんですよねぇ。
そうして、いろんな子に布教出来たのは良かったのですが、今現在、その『王家の紋章』は、進路が分かれて、なかなか会えない友人の元にてハンパなく長い年月、保管されてるのでした。なので、その子との年賀状のやり取りは、お互い毎年決まって「今年こそはメンフィス様を」という書き添えが(苦笑)

そんなこんなで、続きを買おうにも、どこまで持っていたかも既に思い出せないくらい長らく読んでなくて(苦笑)内容自体も記憶がだいぶ曖昧になってきているのですが、タイ土産だったでしょうか。外国で出版された『王家』単行本を友人に見せてもらって、懐かしさとともに、ふと、『王家』でガンパレパロが出来ないかなぁと考えたことがあったのでした。

キャスティングは、
キャロル…一見、可愛いだけで何も出来なさそうながら、実は物事の真実を知っているののみ。
メンフィス…プライド高い茜。その性格といい、自慢のおみ足もあの古代エジプト衣装に、とっても映えそう!(笑)
となると、アイシスは自動的に森…? アイシスほど危ない盲目的ブラコン姉ではなさそうですけど。

と、ここまではすんなり決まりましたが、他がどう考えても埋まらず…。
例えば、メンフィス最大のライバル、イズミル王子。
ののみとくれば、思い浮かぶのは瀬戸口。でも、瀬戸壬生スキーな私には、壬生屋以外の女を攫うなんて当然却下なわけで。恋愛ではなく“娘”救出作戦なら許せるのですが(笑)
それなら、いっそ、舞がイズミル王子の方が美味しいかもしれない。となると、ルカ(イズミルの腹心の部下で、今はスパイとしてキャロルの側近として潜り込み、すっかり信頼されているというキャラ)は速水かなぁ…。あ、どうでもいいですけど、サホは結構ルカ贔屓。

などなど、ぼんやり考えましたけど、「がらかめ劇場」ほどにはしっくりこないので、そこで終了。
それにしても、「がらかめ劇場」もそうですけど、ガンパレでパロ妄想広げようと思うと、いつも不思議と名作少女マンガばかりが思い浮かぶ私。一体何故…?

それはともかく、『天は赤い河のほとり』(篠原千絵著・小学館)は完結しましたけど、『王家』はどんなラストを迎えるのか…。ただいま49巻まで刊行されているようですが、王道パターンはやはり健在なのでしょうか。ほんと、そろそろ「メンフィス様」をお迎えに行かねば…。
映画タイトルを拝借してますが、レビューに非ず。
既にチェック済みの方もいらっしゃるかもしれませんが、カミングアウトされた私の“初恋”話です(笑)

わたくしサホは仮面キャラに実に弱いのです。
それも昨日今日なんて話ではなく、ほんっと幼い頃から、男女を問わず、仮面キャラに憧れを抱き、パーティーグッズにあるような厚紙製の眼鏡みたいな形の仮面(某タキシード仮面さま風なアレです)をつけ、風呂敷をマント代わりに首に巻いては、ごっこ遊びに勤しむような日々を送っていたほどでして(笑)

何度か触れていますが、私が赤い彗星・シャアを好きなのも、仮面キャラだったというのが最大の理由かもしれません。少なくとも、一番最初、物心つくかつかないかの頃に惹かれた理由はそうに違いなく。
現実的に考えたら、覆面で立ち回りって怪しさ炸裂な危険人物な気がしますが、フィクション世界においては、素顔を隠して活躍するその姿、その理由は、大層萌えツボを刺激してくれるんですよね。しかも、大抵の場合、素顔は美形であるというのがお約束ですし(笑)

なので、まだLaLa本誌を購入していた頃、遙かマンガで一番気になっていたのは、当然、仮面のボスキャラ、アクラム様。ただ、ゲーム中、彼を落とすことは出来なかったので、ここでは自然と他のキャラに萌え株を奪われてしまいましたが(苦笑)、遙かキャラで「様」付けで呼ぶのは未だに彼ただひとりですし。

仮面キャラというだけで無条件に弱いサホです。
遙か1コンプ前に誘惑に負けて遙か3に手を出し、一番に攻略を目指したのがリズ先生なのは、ごく自然な流れでしょう。
それでも、先生へのその萌え心は、当初、とっても軽いものでした。
一目見た時からときめいていましたけど、やはり私の中の仮面キャラTOPはシャア大佐。と、いうか、燦然たる萌えキャラTOPで、もはや別格の存在。年季からして違いますし、既に刷り込み状態で、その座は揺るぎないもの。
なので、実は私の中でリズ先生は、当初、シャアその人と比較されがちだったのです。
例えば「この人もパツキンマスクマンね」とか、先生の素顔が晒された瞬間「こちらは本当に火傷跡隠すための覆面だったのね〜」とか。

ゆにぽん初の遙か3企画だった100質の回答を終えた時点でも、確かに先生は一番のお気に入りキャラでしたが、遙か3のキャラって皆、それぞれに魅力ありすぎで、二番以下との差は僅かなもの――のはずだったのです。
それが、いつしか遙か3というカテゴリーを逸脱し、気が付けば、あれ? 燦然たる不動の萌えキャラTOPだったシャアをも上回っている……?

どちらも、ひとりの女性に固執(というと言葉が悪いですが;)しているわけですが、シャアの生き様は、それも含めて男性らしい美学に彩られたものですけど、乙女的ロマン思考を叶えてくれるのは、やはりネオロマなリズ先生だったということでしょうか。
実は、神子一筋30年+α(←限りなく∞に近い?)と、ひたすら愛のためだけに自己完結して生きている先生に、すっかり、ほだされてしまったのですね(笑)見た目や表面的なキャラ設定だけでもツボだというのに、生き様が“ひとり速舞”風キャラとくれば、さすがのシャアでも太刀打ち出来ず。

それだけならば、おそらくは萌えキャラ順位の変動だけで済んだのでしょう。
けれども、こうして、いろんなこねたを放出しているうちに、自覚してしまったのです。
今まで、ずっと“初恋”キャラだと思っていたシャアでしたけど、別格なだけあって、それは見上げて憧れるような対象。
ところが、リズ先生は、その募る想いゆえに、いじり倒したくて仕方ない。
これって、好きな子に意地悪したくなる小さな子と同じ心理…? ま、まさか、これこそ“初恋”――!?
“初恋”だからか、想いばかりが迷走しているのでしょうか。自分でも唖然としたり愕然となる妄想に憑かれる始末。

そんなこんなで、すっかりガンパレとは疎遠になったかのように思われそうですが(苦笑)
もちろん、今もガンパレキャラに対する萌え度も並々ならぬもので、感じる愛も深いのですが、リズ先生へのそれとは形が違っているように思えるのです。
言うなれば、ガンパレ愛は二度目以降の恋愛というか、もう少し成長して冷静だったり客観視出来る(と思いたい)もののような…。
見た目も中身も私の萌えツボすべてを兼ね備えたキャラがガンパレにいたら、そんな危険極まりない不器用な初恋に堕ちていたかもしれませんが、幸か不幸か、私の萌えがうまい具合に分散しているのでした。

それにしても、萌えに忠実になることを宣言して新年を迎えたわけですが、まだ半年も経ってませんけど、既に予想以上の萌え堪能っぷりに、我ながら、なんと萌え豊作年なのだろうと心底驚いています。
“初恋”を自覚して間もないというのに、実はただいま、別の萌えに捕らわれ、どうしていいか分からないくらい(笑)けれど、どれも、冷めてしまったわけではなくて、別次元で増えていくばかり。
昔『CIPHER』(成田美名子著・白泉社)の中で「愛は分けるものではなく、増えるもの」というような言葉があったのが思い出されます(笑)
こうして、贅沢な気がするくらい心は潤うのですが、反面、懐は軽くなる一方…。まぁ、幸せな悩みでしょうかね。はは;
喜怒哀楽が少ないというか。
鉄面皮というか。
冷静だとかシニカルだとか。
ま、そういう風に思われている人間にはどうでもいい情報が大量に流れがち。
例えば?
そうっすね。
派閥が絡む話とか。
苦しい恋愛の話とか。
下世話な噂話とか。
気が付けば情報通になっていたりするもんです。

何が情報集積に役立ってんだろう、と言えば。
クールだという性質の本質――つまり中庸でどっちつかずの態度ってやつが、意見を主張したい人達を呼んでるのかなぁって思う。

「あの人ってこういう人なの。有り得なくない?」という言葉の脈絡を注意深く辿ってみると、「同意してよ」とか「あんたみたいに他人に無関心な人間が興味を持ったという事実だけ頂戴よ」とかいうことなのじゃなかろうか。
自分のことを見捨てない程度には仲良くて、でもその生き方からは中庸以外の何のポリシーも見えないような人間に情報というか愚痴というか悪口っていうのは流れていく。

でも。クールだと思われている人は、難癖付けて絶対に同意しないよね。
それでもって、こういう誹りを受けるわけだ。
「○○されたことないから、人の痛みが分かんないのよ」とか。
「友達だから打ち明けたのに」とか。
でもって、それに対してこう思うわけさ。
私はあなたが想像しえない経験をしていて、それを表に出さないだけなんだけど? とか。
いつから君の友達だったっけ? とか。

実際、親身になって――なったつもりで、相手の訴えに対し「同意できること」「同意できないこと」を区別しながらアドバイスしてるんですよ。
よかれと思って御託並べちゃうわけですよ。
それは実に余計なお世話だったということなんだけど。

ニュートラルな存在って得をします。
情報が集まるおかげで優位に立てるもの。
これって激しく気持ちいい。孤高だけど、それこそが快楽。
だって例え誰かを傷つけても「誰からも理解されてない」みたいなこと言えば、ほら免罪されちゃう。
しかも「理解は求めない」とかって言っちゃえば、何て言うの? 不可侵状態。
でもこの情報、所詮は優柔不断というか覚悟が足りてないおかげで流れ着いただけのこと。
流れ着いてきたものに対してケチつければ、そりゃあ文句も言われるよな。うん。

白と黒だけの世の中が不毛であるのは言うまでもないけどね。
いや、多様性を認めない社会は、今の価値観にそぐわない、つまり「正義」じゃないよね。
でも二者択一に迫られる世界に私たちは生きてるわけですよ。
誰かが出さざるを得なかった答えに対して「イエスともいえないし、ノーっていうのもね…」と返すのは、相手の尊厳を踏みにじっちゃいませんかね。
もちろん、そういう態度でかえって冷却出来て良かったとか、そういう結果も生まないことないですけど。

「仕方ないよ、そういう風にしか生きられないし、嘘もつきとおせないし、嫌われても文句言えない」

いいんです。
そう割り切っている人を非難したいわけじゃないから。
ただ、あーあ、と思うのはそういう生き方しか出来ない自分を許して、褒めて、という態度に対してのことだもの。

自分という存在の特異性を盾にして。
他人を分かろうとしないのに。
他人を許そうとしないのに。
分かってくれなくてもいいと嘯きながら、いや分かるはずもないと見下しながらも、分かって欲しそうな態度に出られてもな。
…みんな、困っちゃう。

みんなを困らせているかしら?
出会いがあれば別れがあるということで。
私が恋愛成就した瞬間に思うのは「別れた後」のことだった。

人の気持ちに永遠なんてものがあると信じている人がいるのだろうか。
心変わりがあったとして、それを責め立てることに意味があるのか。
いずれ別れがくるというなら、深く静かに潜行した付き合いをすべきだろう…

私の恋愛観は、そう、もの凄く暗かった。
そもそも他人を信用できない、と思っていた。
疑心暗鬼もここまでくれば立派な病気である。

私が好きになった人は、おおよそ恋愛=結婚という認識がない人であった。
当初、ドライな人だね…と与しやすい印象を持ったものだ。
それでも「恋人になったからには」と私を最優先に考えてくれる一途な面も見せてくれたし、遠距離恋愛を持続させるための努力も怠らない人だった。

私はと言うと。
他人から見れば恋愛感情がとても希薄で、とても恋をしているようには見えなかったらしい。
自分から相手を気にする素振りは見せることなく。
話をすすんで聞いてあげることもなく。
彼が落ち込んでいることを察することも出来ず。
…遠距離恋愛を選んだ人間とは思えない行動ばかりをとっていた。

私たちの恋愛は、彼の振る舞いによって繋がっていた。

別れてしまえば多分きっとすぐに日常に戻ってしまえる距離感。
孤独は得意だと思っていた。
会えばいつも嬉しくて、人目を忍んでのデートも楽しくて。
でも彼が帰れば、いつもの私が戻ってくる。
それは寂しいとか悲しいとか、そういう感情が全く去来しない日常。
電話がこなければ付き合っている事実さえ霞んでしまう。
「遠距離も悪くないわ」――そう嘯くことさえあった。
でもそれは。
それは…

ある日、私は気付かされた。
彼にとって私という女が初めてではないことを。
私と付き合うほんの数ヶ月前に別の女性と付き合っていたことは知っていた。
知っていることと認識させられることは違うことを思いしった。
彼は言った。
「今もし、三人で対面したとして。俺は多分、君じゃなく彼女の味方をするだろうね」
言われた瞬間は別に嫉妬も何もなかったけれど。
それは不安の種だった。
この言葉はじんわりと私を追い詰めていく。
彼の行動の端々に、彼女の存在が見え隠れした。
いや、見え隠れしているように私は感じた。
実際がどうだとかは問題ではなく、私がそう感じていた。
孤独が得意…?
違う。
感情を持て余すのが面倒だっただけではないか。
嫉妬することも泣くことも切なく思うことも、そのすべての感情を味わいたくないばっかりに。
恋愛に何の責任も負いたくないという幼い思考が、孤独を愛したということに他ならないのでは………

別れを前提に考えれば、相手に深くのめり込むこともないし、深く想わなければ自分が傷つくこともない。
逆説的には己が傷つきたくないばかりに、ひたすら相手と向き合うことを恐れていたに過ぎなかった。
それは今思えば、二次元に恋をしているようなイメージだ。
好き、だから付き合うけれど。
楽しい時間以外は過ごしたくない、苦しむあなたは見たくない。
いつも綺麗なままでいて。
あなたは愛の言葉と知的な会話、そして私好みの姿だけを提供してくれるだけでいい。
…恋愛に痛みの伴わない別れなんて滅多にないのに。
私は恋愛を楽しむことを放棄して、時間を無駄に浪費したのだ。

不安は嫉妬という感情を私に植え付けた。
私より別の誰かや何かを優先させる彼を遠い目で見つめる日もあった。
でも知っている。
私を優先させないことと愛情を失うことはベクトルがまるで違う。
切なく悲しい想いは、彼に感謝する気持ちを芽生えさせた。
彼はたくさん努力をしてくれた。
一人の人間として私と支え合っていきたいと行動してくれた。
だから私もそれに応えたい。
苦しむあなたも弱いあなたも、私はみとめる覚悟を持った。
そう、あなたが昔からそうであったように。
公式の銀魂のスペシャルコーナーがパワーアップしてました。
ダイジェストムービー2が出来ていて、見ているだけで銀魂色に染められていきそうな感じです。
登場人物紹介で、さっちゃんがお妙より先に紹介されていて少ぅしだけ「え?」とか思いましたが、お妙の次に近藤局長が出てきたのを見て「あぁ…」と納得。

今日は銀魂の、萌え丸出しな、キャラ語りです。
独断と偏見ともぞの嗜好しかありません。
思いつくままかいてます。
見たくない人はまわれみぎー♪

***

銀魂で一番好きなキャラは、と聞かれたら、迷いなく「銀さん」と答えます。
なんというか「別格」です。マツケンサンバにおける松平健様のごとく、もう彼がいなけりゃ始まんないぜ、って感じです。
銀さんでも坂田さんでもSでもMでも白夜叉でも、何でもいけます。最近のお気に入りは、さっちゃんに見せる鬼畜Sな銀さん。

好きなキャラ投票があったとして必ず一票を投じるのは、桂小太郎。
銀さんは別格なので、彼には投票意欲が欠片も沸きません(何でだ)
桂が好きだと思い知らされたのは「狂乱の貴公子」辺りですが、ホントは宇宙海賊ハルサメ付近からずっと「素敵だな(天然ボケで)」とかって思ってました。
日本の夜明けまで、とか言えちゃう真面目な(でも変な)彼がお気に入りです。

真選組で一番、と言われると土方ですかね。
一体、誰から愛されているのか分からない微妙なポジションがツボです。
腹黒総悟の攻撃を上手くいなしつつ目的遂行出来る、案外大人な人ですよね。
いや、真剣勝負が好きなところやマヨネーズのかけ方とかはアレなんですけど…偉い人相手には基本的に敬語ですし、そういうところが好きです。

女性キャラで一番はお妙。あの何とも言えない凶暴さが…師匠って呼んでいいっすか?
情に厚いくせに自己中心。
美人で弾けていて下世話で格好いいです。
時折新八がみせる男前な行動を見ると、お妙の教育の賜物だよなぁと思います。

エピソードで好きなのは、銀さんとお登世と彼女の死んだ亭主の話です。
あのエピで「銀魂ってギャグマンガなの?」と心惹かれましたねぇ。
少なくとも時代劇スキーな私には、かの鬼平犯科帳と同じくらい人情味を感じました。あれ? 私だけ?

銀魂を読むきっかけになったのは、にらがオエビで「○○○の深追いはよくないねー」という言葉と共に描いた神楽のイラストが好きだったからです。
可愛いチャイナが鼻血垂らしながら下品な言葉使ってるぅ…そのインパクトのでかさに突き動かされました。
新選組を題材にしたパロというか漫画というか、そういうのには手を出すもんか! という決意はあっさりと反故に。
史実が好きな皆さまごめんなさい…

カップリング。
もぞは総悟×神楽大推奨です。
神楽が幼いので、恋愛として基本的に機能しない二人の揺らぎに萌えます。
なぜか気になる、ほっとけない。
嫌い、そう思うのに、なぜか気が合う。でも好きじゃない。
…そういう関係ですかね。
あとは銀時×お妙。
下ネタ全開、自己中心なS同士の会話が、突然いい雰囲気に…とかってとかって(おいおい)
気になるのは土妙土です。
どちらが攻めでもきっと好き…エロエロ上等♪ 私が書くとガンパレの善原っぽくなるどころか、まんま善行と原素子になりそうなので自主規制です…土方が善行ってありえんでしょう…
素敵サイト様の影響で好きなのが土山土。いや、山崎という人物がまだハッキリしてなかったころの名残ですね。
読むのは好きだけど書けません。男女カップリングで許して下され…
坂本×陸奥も気になります。
読んで萌えるのは高杉×陸奥なんですけどね…かみ合わない感じが素敵…
銀さんと神楽は保護者萌えかなぁ…いや、神楽からの一方通行な片想いなら大歓迎です(え?)
神楽に押し倒される手練れな銀さんも見てみたいっ。

コンビ萌えはたくさんあります。
銀さんと絡んで嬉しい人たち
→桂、土方、マダオ、新八、近藤、坂本、総悟
真選組、攘夷派の過去話も気になります。
桂小太郎と近藤勲のカリスマ指導者っぷりも見てみたいところ。
案外、桂と神楽のコンビも良い感じ。

***

今日は月曜日。
月曜日が来るのがこんなに楽しみなんて、何て幸せなんでしょうねぇ☆
趣味は何ですか?休みは何をしていますか?

これほど答えるのに苦しい質問はない。

私は、ドライブとネットと答えている。無難に。無難?
車を長時間運転するのは苦ではないし、お出かけは好きだけど、趣味とは何か違う気がする。
実際長時間運転するときは、もぞ宅に襲撃するのが主な目的のことが多い訳で。
ネットにしても、ホントの趣味といえるオタク活動をオブラートに包んでる(?)だけだしな;
ドライブ、ネットどっちも手段を趣味と答えて、ああ、自分は…なんて凹んでみたりする最近。
趣味は何ですか?と聞かれて、はきはきと「パンを焼くことです」とか「テニスです」とか言ってみたい最近。
まあ、何故かと言えば、そんな場面が増えるお年頃ですので(笑)
そういえば、この間ダーツバーなるものに誘われて行ってみたのだが、結構面白かった。
私の場合、基本姿勢がぐうたらなので、「何かした」というときは誘われての事が多い。
ボウリングしかり、ビリヤードしかり、映画鑑賞しかり、マラソンしかり(あ、全部ぬりかべさんだ。ありがとうですよ)。
いろいろするのは好きだけど、どこまではまれたら趣味の域と言えるのだのだろう。
とりあえず、私が今寝ても覚めてもはまっているのは関西の8人組で明日は舞台を見に行きます(滝汗)
お盆は母の実家に里帰りする。車で休憩なし2時間、海岸沿いにうねうね道を行く。
車の窓を全開にして、酔わないように息継ぎ。ス、ス、ハー。
まず墓参りから済ませて、祖父の家は山の上。
仏壇にお線香を上げて、祖母のところに行くと手作りのカップアイスをふたつ渡される。
ひとつは私の分、ひとつは近くの川で釣りをしている祖父のところに持って行く。
河口近くの川にかかる木の橋は、今にも崩れそう。
下を恐々見ながら歩いていくと、中ほどに祖父がひとりでのんびり糸を垂れている。
まだ釣果はないらしい。
このころはまだ怖いと思っていた祖父の隣で釣り糸が揺れるのを眺めながら、アイスを口に運ぶとシャクシャクのミルク味。
晩御飯は何かな?ミナ食べたいな。
ぼんやり糸の先の波紋を数えている。

***

先日、強制参加させられた(笑)セミナーで、
都会の子どもは、石を投げて遊ぶような場所がないから、
夏休みに田舎につれてきて海で思いっきり石を投げさせる「お泊り」計画を組むという話にとてもびっくりした。
一応「市」とついている所の生まれ育ちながら(ぶっちゃけド田舎ですが)、子どもの頃の石投げはあたりまえの風景だったからだ。
田畑や海が近くにあるわけではないが、石をなげる場所には困らなかった。
いっぱいいたずら悪さをしたなぁと思い出して、それがすごく贅沢な時間だったことに気付いた。
そういえば、小さい頃入り浸っていた駄菓子屋さんが今は駐車場になっている。
この辺も気付かなかっただけで、石を投げても怒られない場所はもうないのかもしれない。
 人がいれば話しかけずにはいられないように、
 美しいものを見れば心を動かさずにはいられないように、
 人間ってやつは寂しくできていて、絶えず思考したり行動したりして「自分」を認識せずには生きていられない。

 「解脱」を遂げた人が言った。
 宇宙と繋がれば力強く生きていける、と。
 そりゃあ空を見上げて、世界が誕生した悠久の時間を考えれば、人類の歴史や己の苦しみなど、毛ほどの小さいものに感じる時があるかもしれない。
 しかし、そうはいかないのだ。
 解脱なんか簡単にはいかないし、宇宙と繋がることのできる才能の持ち主はそういない。しかし人間は単独ではいられない。簡単に壊れ、そして死んでしまう。他人から見たらほんの些細なことで、人間は「自分」を失い死に至る。それは大小の差はあれ有史以来変わりはない。
 そこで、考えた。

自分をばらまけばいーんじゃないの?

 死にたくなければ、というより消滅したくなければ――、宇宙なんか得たいの知れない巨大なものと繋がらなくても、多少まとまったものにリンクすれば、安定する。なかなか死ななくなる。いや、死ねなくなるとでも言うか。
 リンク先は人間でいい。人間が駄目なら、それこそサイトでもいいし、バイオリンだって、盆栽だって、石ころを愛したっていいのだ。
 何かに繋がれば死ななくなる。「自分」を保つことができるようになる。
 あとは椅子は3本足でないと安定しないよ、の法則どおり、足の数を増やすことが不可欠になるだろう。

 自分が愚か者だっていい。プライドを捨て殻を捨て、卑劣で愚鈍なひとりの人間であることを覚悟したら、あとはしっかり現実とリンクして「自分」というものをアップデートしていく。現実にどのような形であれ渡りをつけていく。そうすれば少なくとも生きていける。
 なるほど、愚かな自分と直面するというリスクは確かにある。それはそれで怖いことだ。だが、いつまでたってもアップデートせずに放ったらかしてしまうことの方が、いかにもリスクは高い。それは現実との隔たりを根拠のない空想で埋めているに過ぎない状態であるからだ。
 「お前は変だよ」なんてウイルスを仕込まれたら、ファイアーウォールが働かずに一発ショートして落ち込んでしまい、再起動不可能な状態になってしまうかもしれない。それよりも、いっそ変な自分と手を打って、サイトにリンクするなり石ころに話しかけるなり、しっかり自分の世界を構築して、「そうだね。変だってよく言われる。ハハハ」とできた方がぬりかべ的にはかっこいい。というか、安心して見ていられる。

 この世には、生きていくために必要なアップデートの仕方を教えて欲しいと言う人間に溢れているような気がする。彼らの逆鱗に触れるようで申し訳ないが、それは学ぶものではなく、体得しなければならないもので、すでにその待ちの姿勢に入っている段階で泥沼に落ち込んでいる。パソコンなんかより遙かに高度でかつ原始的な生き物が人間なのだから、病気にかかって得る免疫のように、苦しむ覚悟、一歩踏み出す努力がどうしたっている。
 とは言っても、現時点で為す術なく困っているわけなので、あんまり言っても大人げないことは重々承知。だけど、手を差し伸べたら勢い込んでつかむぐらいのことでなければ、こちらとしてもどーしょーもない。

追伸 結局、愚痴でした。
            文章のリズム


 文章のリズムについて。
 読み始めはムムムと思うかも知れないけど、ちょっとぬりかべにお付き合い下さい♪

(以下、宮城谷昌光著 文藝春秋刊三国志三巻より抜粋。一部難解な文字を修正)
 ――
 「よくない…」と、孫堅はつぶやいた。
 玉璽を意識するたびに心のすみに重さを感じる。
 そのいやな重さをとりのぞくためには、玉璽を献帝に返上するのがよい。
 それが天意にかなうのであれば、いますぐにでも使者をたてて長安にむかわせるであろう。
 しかしながら、「その玉璽は、なんじがもて」と、天に命じられたのに、玉璽を手放せば、天罰に逢う。
 ――

 他の人はいざ知らず、ぬりかべにとっては読みやすい文章です。
 なんで読みやすいのかを調べてみると一つのことが分かります♪

 第一文 「よくない…」  17音。
 第二文 「玉璽を…」   30音。
 第三文 「そのいやな…」 42音。
 第四文 「それが天意に…」45音。
 第五文 「しかし…」   53音。

 要するに文章が少しずつ増えていっていますね。
 少しずつ増えることで、文章のリズムをつくっているんだと思います。

 ちなみに、順調に増えていっているところに、短文を挟むと切れ味が増します。試しに…

 ――
 「よくない…」と、孫堅はつぶやいた。
 玉璽を意識するたびに心のすみに重さを感じる。
 そのいやな重さをとりのぞくためには、玉璽を献帝に返上するのがよい。
 それが天意にかなうのであれば、いますぐにでも使者をたてて長安にむかわせるであろう。
 しかしながら、「その玉璽は、なんじがもて」と、天に命じられたのに、玉璽を手放せば、天罰に逢う。
 それが怖い。
 ――

 ということで、読む人はリズムを殺されるので、自然、挟み込まれた短文の「それが怖い」に意識が集中します。なんだなんだと興味が起きますので、後に続く文章に引きつけられていくでしょう。
 だから、そこに萌え言葉でも置こうものなら効果倍増ということになります。試しに、

 ――
 「よくない…」と、孫堅はつぶやいた。
 玉璽を意識するたびに心のすみに重さを感じる。
 そのいやな重さをとりのぞくためには、玉璽を献帝に返上するのがよい。
 それが天意にかなうのであれば、いますぐにでも使者をたてて長安にむかわせるであろう。
 しかしながら、「その玉璽は、なんじがもて」と、天に命じられたのに、玉璽を手放せば、天罰に逢う。
「月に代わってお仕置きよ!」
 それが怖い。
 ――

 ああ〜ぐっときますね。ニラとモゾからは、それは萌え言葉ではあるかもしれないがいかんせん古すぎるとの苦情。だってアスランの萌え言葉分からなかったし。

 ちなみに文章の抜粋は宮城谷先生ですが、ぬりかべが読む中でこのテクニックを効果的に多用されるのは、村上春樹先生だと思います。読んでいて「うぉ」と思わされるときには、必ずこのテクニックが使用されています。それでは。

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