一言コメント:(伊東四朗の「おれってタフマン」のメロディで以下の歌詞を歌ってみよう)
       < あんたがた、アスラン♪ >
       < おれって、アスラン♪ >
                        以上。

           「鳥か深海魚か」
 
 鳥は大空をはばたき、深海魚は海底に棲む。
 誰もが鳥になりたいと望み、なりえない悲しい現実。
 少なからずの者が自己を鳥だと思いこみ、実は深海魚になっている。

 深海魚は、鳥とは違う。
 ひたすら深海の深淵を覗き、彼女しか見たことがない世界を見続けている。
 深海の底に海底火山が煌びやかに宝石のように輝いていても、「あぁこんなに綺麗だよ、みんなも降りてくればいいのに」 ――言ったところで誰も降りてきはしない。
 なぜ、彼女は深海魚になったのか。
 酷いことを言われ追い払われたからと彼女は言う。仕方が無く安住の地をそこに定めているのだと彼女は言う。わたしはひとりぼっち、と彼女は言う。
 しかし、寂しさは埋めきれず、ときおり海を見上げて言うのだ。
「わたしもそっちに行きたいよ」
 暗闇のなかで、その言葉が空しくこだまする――。

 行ってもいい。自由がある。
 しかし、殺されることを彼女は恐れるため、行くことが出来ない。言葉が視線が彼女を殺す。目に見えないプレッシャーが、水圧のように、深海魚の体をバラバラにしてしまう。
「行けない。行きたいけど、行けない。行けないよぉ」
 深海の底で、誰もいない絶対の孤独の中、彼女は泣き続ける。

 しかし、そこで泣いてもなにも変わらない。

深海魚でもいい。
 例え姿形は醜いと言われてもいい。
 迫害されて虐げられて、深海にしか居場所がなくてもいいじゃないか。
 生きているのだから。
 
「そうは言っても、ここで生きていくのは死ぬより辛いことなの。きっと心が死んでしまう。死ぬのはいや、生きていたい。生きて――」

 ならば、暗闇で光を照らすことはできないか。
 君にしか出来ない光を、僕にも分かるように照らしておくれ。
 そうすれば、少なくとも世界で僕だけは君のところに辿りつける。
 そう、君はひとりじゃない。
 たゆたう大海を恨んでも何も変わらない。
 無数に群れる魚たちを妬んでも何も変わらない。
 恨みと妬みは、君の体を重くして、君を深海に繋ぎ止めている。
 ――それを、外せ。
 君だけがそれを外すことができる。少しずつ、少しずつ、それを外すのだ。
 そして、僕は見られるだろうか。
 君の黒い鱗が次々と剥がれ、白い羽毛に包まれた翼が伸びるのを。
 君よ羽ばたけ。
 深海から勢いをつけて離れ立ち、水しぶきをあげて海を越え、爽やかな風がそよぐ大空に。 
 一言コメント:今度、管理人の誰かが定期会合に遅刻したら、ハンドルネームの一番上に「叶」をつけることになりました。例えば、にらが遅刻した場合「叶にら」として限定一ヶ月デビューします。

              「速水という男」について

 中村、善行と書いてきて、さぁ次は田代でも書くかぁと思っていたとき、ふとニラが言ったわけである。
「いっそ、速水を書いたらどうですか?」と。
 ――速水。
 ――速水ねぇ。
「ちなみに、君たちの速水はどんなのだったっけ?」
「こんなのだけど」
 モゾがモニターにSSを起こしたので、それらをチロチロと読んでみた。

 フンフン。
 フーン…。
 読んだ後、おもむろにコタツに潜り、
 まくら代わりに、手近なクッションを引き寄せようとした。
 無情にも、それをグッとニラが踏みつける。
「なに寝ようとしてんですか」
「勘弁してくれ。こんなの、ワシには死んでも書けねぇでゴワス」

 なにぃー。こんなの、とはなんだ。

 それからしばらくニラとモゾがひでぇひでぇの大合唱。
 言い訳するとまたうるさいしなぁ、と逃げるようにコタツに潜った。
「ワシの速水はこんなのじゃないしぃ」
 コタツの底でいじけた音速丸の心境で叫んだ、あわれなぬりかべ。
「じゃ聞きますけどぉ、ぬりかべの速水ってどんなの?」
 口をとんがらがらせてモゾが聞いてきた。
 ふむ、と思って亀のように首だけ出した。
 ワシの速水はこんなのだぎゃあ、としばらく説明してやった。説明した後、ニラが困惑したような顔を浮かべた。
「――何だよ」
「それ、速水と違うぅ」
 なんやてぇ〜
「あえて言うなら、それ黒速水ですぅぅ」
「なんだ、その"黒"って」
「目覚める前が灰色速水で、目覚めた後が黒速水なんですぅぅぅ」
「――? なんで、黒の反対が灰色速水なんだ。白速水じゃないのか?」
「白速水は、黒速水も灰色速水も存在しないっていう感じのぽややん速水なんです」
「はぁ? 何、言ってんだ。日本語しゃべれ、おい」
「だからぁ。ああぁぁぁぁ、もう。説明するのが面倒くさいぃぃぃ」

 ――というわけで、

 ぬりかべの速水は、通常の速水とは違うとのことである。
 やや卑怯というか厳しいというか、甘くないというかポヤヤンしてないというか、――要するに違うと。
 ぬりかべにとっては、至って自然な速水に過ぎない。このような速水しか、ぬりかべの心には存在しない。存在するかもしれないが、多分書く元気が湧かないから書くことができないと思う。
 そして、多分、みなそんな感じ。
 百人ゲームすれば、百人の速水や舞がいて、ぬりかべの速水もニラやモゾの速水もそれぞれ違うというのは、どうしようもないことで、あえてSSを書こうとゆうヤカラは、みな心の中から湧き上がる底なしのエナジーで自分だけにしか書けない速水や舞を日々、創造している。
 一人一人違う。
 当たり前のことだ。
 さらに、日々変わり続ける。
 だからこそ、素晴らしい。

 甘い速水を書いた後、からい速水を書きたくなるかもしれない。
 妙に男前な速水を書きたくなるかもしれないし、妹属性の速水を書きたくなるかもしれない。多重人格で情緒不安定な速水もあれば、変態鬼畜な速水もある、さらに猟奇殺人な速水――。
 まぁ、それらは、ニラとモゾに任せるとして。
某カヲル君のこの名ゼリフに異論はないものの、ここ最近は久々に歌番組を立て続けに見たので、ほんとに最新ナンバーなら、何とか少しはは分かるかなぁ?というあやふやな状態で(苦笑)タイアップでもついていると知っている可能性は格段に上がるのですが、私の知識とても若人(笑)らしからぬ状態と言えることでしょう。

そんな私がたまたまnobodyknows+を(名前だけですけど)知っていて、それだけでもちょっと見直されたというか意外がられたのですが、彼らの『シアワセナラテヲタタコウ』。
カタカナが苦手なわたくしにしては、珍しく読み間違えなかったのですが、
「幸せなラテを叩こう? 意味分からんタイトルやなぁ」と洩らした瞬間「意味分からんのはお前の脳内変換!」と大変厳しいご指摘をいただきました…。
ちなみに、レミオロメンをロミオロメンと思い込んでいたのは、もはやツッコミすら受けず、ただただ冷たい視線に晒されるのみでしたが。あはははは;

最新ナンバーに疎いのは、歌を聴く機会もめっきり減ったのですが、聴いたとしても、特定のアーティストがほとんどというのも大きな理由。
所有するCDはほとんど同じ歌い手さんのものだったり、あとは、家人や友人が好きなものを借りて聴くとか。TVやラジオから流れるのを耳にする以外は、レンタルとかも滅多にしないので、どうしても聴くナンバーは幅が狭くなりがちなのです。

とはいえ、たとえ狭い範囲でも、歌を聴くことは、もちろん心地良いことで、いつか、好きなナンバーをBGMに車を飛ばしたいというのが私の長年の野望なくらいですが(←その野望を叶えるべく苦労して免許取得しましたのに、ペーパードライバーと成り果て、一向に実現されず)。けれども、歌を聴くのが好きということと、カラオケは全く別物。私にとってはそれは苦行にも等しい行為なのです!
人様がお歌いになるのを聴くのは楽しいのですが、自分が歌うことがほんっとうに苦痛で苦痛で仕方ないのでした。

そもそも人前というのが苦手な私。誰かと一緒に歌うならまだしも、ピンで歌うなんて滅入って仕方なく。しかも、私、自分の声がかなりのコンプレックスなのです。自分で聞こえている声と、他人に聞こえている声とのギャップを知った瞬間、そりゃあもう身震いモノでした。ぎゃーっ
けれども、マイクを通して聞こえる声は、その他人に聞こえている声なんですよね。それが嫌で嫌で、カラオケを楽しむ余裕など持てるはずもなく…。どんなに親しい人とでも、私のカラオケアレルギーはそう簡単には解消されないのです。

ところがです。
その2つのコンプレックス、私という人間の表層からは、とても、そうは見受けられないらしくて。人見知りする性質ですけど、相手に気遣うあまり、内心はテンパりながらもべらべら話してしまったり、気心知れると、これまた口数多いですし(苦笑)
で、その話す声というのが、自分でもイヤになるほど通る声質。
それらが災いしてか、こりゃあカラオケも大好き人間に違いない♪という風に思われがちのようでして。
職場でカラオケとなると、歌わないのは上司や先輩に遠慮しているだけと誤解されるのです。違いますって〜〜〜! それでも、上司命令となると歌わざるを得ず…

けれども、それまで固辞してきた分、最新ナンバーや人気ナンバーは歌唱済みということが往々にしてあるのですね。ただでさえ歌うのがイヤなのに、選曲にも困らせられるわけです。
先述しました通り、私が好きなアーティストって、知名度は多分そう低いわけではないのですが、一般的には今はもう忘れ去られかけているようなだったり(酷っ)、カラオケには不向きな歌が多かったり(例えば曲の長さとか)。
あと、以前は男性ボーカルのものばかり聴いていたので、自分の声域じゃ、音調いじったとしても少々歌いづらかったりだとか。。。
そういう時に限って、歌いやすいのは何も思いつかず、職場の上司に聞かせるのはどうかという曲目ばかりが浮かぶんですよねぇ…。
まだ入社間もない頃、仕方なく歌ったのは、いわゆるビジュアル系バンドのヒットナンバー。ビジュアル系とはいえ、その頃はすっかりメジャーでドラマやCMのタイアップもついてましたし、彼ら自身の外見も、その歌自体もそんな激しいものではなかったのですが…

曲が流れてきた瞬間の上司の反応が怖かったのですが、驚かれたものの「君はこんなのを歌うのか!」と大変面白がっていただけましたけど、実は、中・高・大学と、私の周りは結構ビジュアル好きが多く、私はそれが普通なのだと思っていたのですが世間ではそうではなかったのですね…。思いがけず、同い年の子にドン引きされてしまったのでした。ががーん。
明らかに私より、ビジュアル好きというか似合いそうな外見の子でしたのに…。次に職場でカラオケに行った際、黒い服の人たちのはやめてね♪と念押しされました。黒い服の人って……。

と、いうわけで、宴会に付きものと言えるカラオケですが、私にとって苦痛極まりなく、普通とは逆で、マイク付きで歌う方が、普段のしゃべりよりもずっと響かないくらい。「スイッチ入れてる?」と何度突っ込まれたことか…
特に意識してないので分かりませんが、どうも普段の私は腹式呼吸で会話しているようなのですが、カラオケはイヤイヤ歌うので、喉から細々発声している模様(苦笑)
如何に私がカラオケ嫌いかお分かりのことでしょう。

ですが、「歌はいいね」の言葉通り、歌うこと自体も嫌いではないのです。むしろ家の中ではひとりフンフン歌っていることが多いのでした。歌詞が曖昧なために鼻歌がちですけども(笑)
友人を家に招いた時など、CDをかけていたりすると、たまに油断してその鼻歌が…!
カラオケより鼻歌の方が上手いのね、と妙な感心をされたり(苦笑)

カラオケ好きな方には、人前でマイクを通して大音量で歌い上げることに快さをお感じになるのでしょうが、私はひっそりこっそり、孤独に口ずさんでいたいのです。と、言ったら、上司に「そりゃ逆に怪しいぞ」と笑われましたが。
せめてマイクさえ通さなければ、まだマシなのかもしれません。相手にはすっかり馴染んでいる声なのでしょうけど、それこそが私には何より耐え難いのですから…うぅ。

もしも私の素の歌声が聴けたとしたら、それは私が相当リラックスしているとか、心を許しているということでしょうねぇ。歌声には何のメリットもないですけど、ある意味、私の心の緊迫度みたいなもののバロメーターになるかもしれません(笑)

そして、私は今日もひとり、こそりとハミングするのでした。
萌え活動のためにも、だらだらTVを見るのはやめよう!ということで、以前に比べたら、かなり厳選されたラインナップで視聴中。その中でも今一番、やられ気味なのが『ファンタジックチルドレン』(テレビ東京系)。
微妙にネタバレ(?)を含みますので、何も知りたくない方は今すぐ引き返して下さいませ。。。

この作品、開始前に得たのは、日本アニメーション制作とか、その程度の情報だったのですが、何となく私好みなニオイがして楽しみにしていたのです。
が、これがOAされた頃、うちの地域では、デジタル電波試験中とかで、これを放送している局は、画面全体が白黒ほぼ砂嵐状態に映るというヒドイ有様。色使いが鮮やかな場面だとまだマシなのですが、暗い色調だと何が描かれているのか判別不能。
今は改善され、きちんと映っているのですが、これがまた、初回から、いくつもの時代が出てきたりして、ほぼ音だけの状態の鑑賞では何が何だか内容把握出来ずという…;

序盤、何度も挫折しかけたのですが、それでも、あんなに見づらい画面に耐えたことを思うと、半ば意地になってしまって(苦笑)
当初の期待感はどこへやら、音楽がとても好きなので、物語というより、ほとんどそちらを目当てにしていたようなものでしたが、謎が解き明かされてくると、もうぐいぐい引き込まれてなりません。

簡単に説明すると、
拳法に長けた元気少年が出逢った、寡黙で薄幸そうな主人公の少女と、彼女を守ろうと懸命な少年。
いくつもの時代に渡って姿を見せる黒マントに身を包んだ金髪の少年少女グループ。
各地で失踪した子供たちが、かつて自分の祖父が若かりし日に撮影したその金髪の少年少女たちとそっくりなことに注目し、捜査を開始する刑事。
人を実験台に霊的な力を研究する国家機関の科学者と、その研究の影で暗躍する謎の青年――。

そんな登場人物たちの、それぞれ点と点だった行動が、次第に線となって繋がり、実は輪廻転生を経て、再びめぐり逢う物語…といったところなのですが、私が公式サイトに訪れたのはつい先日のこと。すると、目が点になるくらいネタバレ度高し!(笑)その辺りのことは最初からコンセプトとして記載されていたようでして。

ネタバレはあまり好きではないのですが、意味分からん!とイライラしながら見ていたことを思えば、先に予習すべきだったかなぁとも思ったりしますが、純粋にその謎が繋がっていく様を楽しめたからこそ、より一層面白く感じられたのかもしれません。

最初は登場人物の行動が謎すぎて、本当に「?」の嵐で、何より、何だか煮え切らない…というか、ズバリ、主人公の少女の態度に何度もキレかけたのですが、過去が明かされた途端、愛しさと切なさにきゅんきゅんです(笑)
それまでは、萌えポイントなんて、せいぜい、金髪の少年少女たちの、それぞれの時代の仮初めの家族への葛藤くらいしかなかったのですが。
特に彼らのリーダー格の少年が、ビジュアルもですが、妹を想いつつ使命に生きる様がサホ的ツボで。我ながら分かりやすい好みです(笑)

ほんっと主人公の少女が、某シン・ア○カ以上に主役らしくない女の子だったのですが(苦笑)、前世での幼少期、恋人となる彼との出逢いのシーンが大層可愛らしくそれだけでめろめろ〜っと(笑)
背負われ、足をぷらぷらさせながら歌っているとか、子供らしい無邪気さ炸裂! そこへ、成長した彼女をめぐって、その恋人と幼なじみの王道切な系な関係が繰り広げられるのですね…嗚呼っ。
しかも、最近は、“姉”を取り戻すためだけに生きてきた“弟”キャラもいたりで、何とも美味な切な系設定があちこちに張り巡らされているのです(笑)

名作劇場でお馴染みの絵柄で、そんなドラマチックな人間関係が描かれているのも面白く、どういったクライマックスを迎えるのか、非常に興味深く見守っているのですが、私も一端のファンサイトの住人になったということでしょうか。
ちび舞もあんな風に可愛らしく描いてあげられたら…という思いに駆られたり、更に転生ネタとくれば、似てるわけではないですけど、やはり瀬戸壬生の血が騒がずには……!

最近、ほんのすこ〜しばかり糖度を出せる、というか、マイナス状態から辛うじてプラス状態に持っていけるようになったかも? と自惚れたかったのですが、お陰で、またも切な系というかダーク街道まっしぐらな予感…?
この『ファンタジックチルドレン』もそうですが、他の、今、萌え燃えているものが、どれもこれも、かなり切な系をひた走る展開だったりもして。
と、いうわけで、ただいま切なヶ淵に佇むサホなのでした。
私の読書の特徴として「何回も読む」というのがあげられます。
だいたいお気に入りの本はいつも手元においてあって、気が向いたとき、お風呂にはいるとき――しつこく読みふけっています。
気に入った本は私の善き友人として側にいて、それこそぼろぼろになっても捨てられません。
そして、こういう本の存在が、私を新刊へと誘わない要因にもなっていたりします。

さて。
私が気に入る本の殆どはノンフィクションだったりマニュアルだったりします。
教科書以外にあまり小説を読んでこなかったので、実は名作の多くは未読という状態です。
映画も見ないので、他のゆにぽん管理人と話が合わないことも多いです。
――そんな無教養な私ですが、数少ない気に入った小説をご紹介。

森鴎外著「高瀬舟」
小学校4年生の時に、先生が紹介してくれた短編。
当時、安楽死や尊厳死についてマスコミでも広く議論されていて、その教材として出会った作品です。
主人公の役人に萌えを感じました。え?

宮部みゆき著「火車」
4年前に薦められて読んだ小説。
犯人と思われた女性が官報を必死な形相でめくっている、という描写が鬼気迫っていて素敵だった。
その部分だけは何回読んでも感動してしまいます。

宮尾登美子著「蔵」
約10年前に新聞紙上で連載されていた小説。
最初は挿絵萌えだったんですが、主人公の少女が恋に目覚めるあたりの嫉妬の描写にやられました。
今は複雑な人間関係に萌えてます。

他にも池波氏や司馬氏などの時代小説も好きです。
読むだけなら推理小説も大好きですね。
あいつは99%クロさ。
そして残り1%がシロってわけじゃあない。
それはただの「誤差」ってやつだ。

これは口語体に変えておりますが。
この文章をとても真面目な記事の中で見たときは、思わず「すごいなぁ」と唸ってしまいましたよ。
一つは言い回しが巧みだと思ったことに。
そしてもう一つは物事を断罪しきっていることに。

結論を決めつけて物事を判断すること。
これにはスピード、説得力、矛盾のない理論展開、というメリットがある一方で。
反面、この結論が間違っていたときの大ダメージ、他者の意見を認めない狭量な姿勢、というデメリットもある。
だからたいていはグレーゾーンに身を置いて、保身をはかるのが何となく望ましい態度といえますね。
もしくは本当に賢い人たちは色んな意見を聞いて、自分の中で再構築出来るまで熟成させて議論を待ちます。
ただ、このニュートラルな態度というのは、熟考するのが苦手な私自身はあまり好きではないというのが困りもの。
別に論客を目指しているわけではないけれど、他人と議論をするときにはやはり「私の意見を受け入れろよ」という気持ちが先立ってしまいます。
そこで欲しいのが説得力だったりするわけで、私の語り口には「決めつけ」というキーワードが欠かせません。
この態度が誰かを傷付けてしまうと知っていても、この態度が他者を誤解させてしまうと分かっていても、簡単に改善出来るものではないです。

議論に勝つという目先のことに捕らわれることの愚かさを教えてくれる人がいて、その人のおかげで今の私は「痛い人レベル5」を「痛い人レベル3」くらいの存在でいられるわけですが、油断をすると本来の熟考出来ない自分が出てきてしまう。

そして、冒頭のような文章を見ると、思わず拍手喝采したくなる自分がいるわけで。
たとえその記事の内容が間違いであっても、小気味いい言い回しに感動しちゃう自分がいるわけで。

こういう態度を「衆愚」というのかなぁと何となく思った今日の夜。
バレンタインと言えばチョコレートですね。
この時期になるとひたすら居心地の悪くなる私です。

今を遡ること約10年。
ぬりかべの家はサークル仲間の溜まり場で、ここに行けば24時間誰かと出会える、という不思議空間でした。
私たちが所属していたサークルとぬりかべが出会ったのが確か9月。
溜まり場と化したのが10月くらい。
それからおよそ4ヶ月で、ぬりかべ邸はみんなの家のようになっていたわけです。
自分の家のような感覚でしたので、皆無礼講でした。
ぬりかべにプライバシーがあるだなんて、私たち誰も考えていなかったのかも知れません。

バレンタインデーも間近のある日。
乙女系な先輩(男)とごく普通の先輩(男)、そして、調子乗っちゃう系の同期(女)と私の4人がぬりかべ邸で暇を持て余していたとき。
乙女系な先輩がとある話を始めました。
「どーも、ぬりかべには女の影がつきまとっている」
当時のぬりかべは「純情な純子さん」という女性と付き合っていると公言して憚らなかったわけですが、それが妄想であることを差し引いてもぬりかべの家には女性の痕跡がちらほらと見られていました。
24時間体制で見張られているようなぬりかべなのに、実は私たちの誰もが彼の実体を知らなくて、また彼自身も語らない。
彼女の存在を聞けば純子さんの話を始める。
「でも、僕、ぬりかべに彼女がいるって証拠を掴んじゃったかもしれないんだよねー」
いや、まさか、ほとんど誰かと一緒にいるのに、身内以外で付き合う女性なんかいるわけないだろー。
「もちろん別れた彼女だろうけど、女の影は確かにあるんだよ」
…乙女系な先輩はおもむろに押し入れを開けて、がさごそがさごそ。
「ほらね、みーつけた♪」
そこには賞味期限の切れたチョコレートの箱がありました。
「大事にとってある、ってことは、彼女からプレゼントとしか思えないジャン。
これと同じチョコを買ってきて、ぬりかべを驚かせようよ♪」
とりあえず私は反対、しかし同期は大賛成ということで、プランは決行に移されました。
チョコレートを用意して、ぬりかべが帰ってきたと同時に食す。
そして彼の反応を見て笑っちゃおうという悪趣味企画。

間もなくぬりかべが帰宅して、4人でチョコを頬張り一言。
「押し入れのチョコ頂いてまーす」

私たち4人を冷たい視線で見下すぬりかべ。
気まずすぎる沈黙と、見たことのないぬりかべの態度に動揺する4人。
最初に耐えられなかったのは言い出したはずの乙女系の先輩。
「なぁんて、嘘です♪買ってきたんですけど、食べませんか?」
「いらない。また出掛けてくるから」
再び沈黙。
そのまま私たち4人を残して、ぬりかべは友人と外出していきました。
「…やっぱ、チョコはまずかったのかな」
ていうか。
よく考えたら、人の家の押し入れを勝手に開けたことを怒っているのじゃないのかな。
「そうだよね、普通は怒るよね…」

その後、帰宅したぬりかべはいつも通りのぬりかべで、怒っている様子もなく後ろめたい私たちをはべらして御満悦(だって怖くて帰るに帰れない)
そして皆に一言。
「バレンタインのチョコレート、楽しみにしているからね♪」
…あぁ、彼は一体何に怒っていたのか、今となっては触れることも叶わない…

そしてチョコレートを渡してから判明した事実が。
ぬりかべさん、実はそんなにチョコレート好きじゃないようなんです。
一日一欠片も食べれば充分。
――ならば、あの時の押し入れのチョコは只の余り物なのか、やはり思い出の品なのか――今だに真相は藪の中。
だって、後ろめたくって聞けません(泣)

あの時は本当にごめんなさい、ぬりかべ先輩。
ぬりかべのあの頃の私生活は謎に包まれたままですが、二度と暴きません。
風化してしまってまるで砂のように舞い散ったチョコレートを思うだけで「こいつにあげるのは無駄なことではないのか?」という疑問を抱くわけですが、私は毎年チョコを差し上げています。

それもこれも、あの時の申し訳ないという気持ちが私の居心地を悪くしているからなのですが…
皆さま、他人のプライバシーに興味を持つのもほどほどにしましょうね。
?個人情報を漏らさない。
?解決策等の結論を無理に引き出そうとしない。
?発言者の意見を素直に受け入れ、その人の人格を尊重する。
?相手の話しを最後まで謙虚な気持ちで聴く。
?批評・批判的な発言はしない。

これはあるセミナーでの約束事です。
セミナーの目的は、仕事や家庭のことで様々な悩みを抱えている人に、本音で語れる場を提供し、それぞれの経験談や意見、アイデアから今後の生きる指針を得る事ができないかというもの。
以前週番日誌でもぞが取り上げたブレストの形式に似ていますね。

毎回ひとり参加者の中から話題提供者を立てて、体験談などを話してもらい、そこからそれぞれの意見を出して発展させていきます。進行役の人はうまく参加者を誘導し、取り残される人がいないように全員が話しに参加できるようにします。

ここで一番大事なのは、発言者の意見を「受け入れる」ということです。

人は様々な悩みや心配事を抱えています。その重さや幅は、その人の立場によって違い、また、その人の精神面にも左右されます。
ストレスに対する耐性は人によって違いますし、悩みのひとつひとつは軽くても、積もればその人を押しつぶす重さになってしまうこともあります。

発言者が一番恐れるのは、「否定」です。
体験談ですから当然主観が入ります。
主観の最たるものと言えるのが、悩み・ストレスです。
誰かに悩みを打ち明ける時、大抵の人がまず求めるのは他者の「頷き」ではないでしょうか。
同意を得たことによる安心感。
そこで人は心が解放され、問題にはじめて向き合うことができるのです。

話しを「聞く」ということはできても、「受け入れる」ことはなかなか難しいものです。
「自分はこう考える、自分ならこうしたのに」
とつい言ってしまいたくなります。
逆に受け入れすぎてしまうことで、相手の悩みに引きずられ精神の安定を崩す危険もあります。

闇雲に「肯定」をしなければならないということではなく、一歩引いて考えるということが大事です。
結論を急がず、頭の中でも「私」ではない「第三者」を想像するということ、その「第三者」と「私」との対話からはじめてみる。
そういう作業から多くのものが得られるのではないかと思います。

自分への課題のひとつです。
 闇より闇へ。
 現れたは黒い影。全身黒タイツの姿に、ニョキリと伸びた黒い触覚、その下には顔半分を埋めるほどの満面の笑顔がたたえられている。そう、まごうことなき「俺様」だ!
「ハーヒフーヘホー!」
 黒い影はふところから一つの瓶を取り出した。その中には、数え切れないほどのカビの化身、かびるんるん達がうごめいている。
「これさえあれば、あのにっくきアンパンマンもいちころだもんねー」
「そんなことはどうでもいーの。早くみんなを困らせてやらなくちゃ」
全身赤タイツの美少女が「はやくぅ!」と急き立てる。
「まっかせっなさーいっ」
 カポリと瓶の蓋を開け、村に通じる川に流し込む。やがて時間をおいて、カビたちは大繁殖して村に襲いかかった。村は大パニック。逃げまどう村人達を空中から楽しげに眺める二人組。泣き叫ぶカバお君。そう、子供達の給食もカビてしまって食べられなくなってしまったのだ。
 それを頼まれもしていないのにパトロール中の"彼"が見つけて叫んだ。
「みんな、どうしたんだい?――なんてことだ…そうか、これはバイキンマンの仕業だな!」
 アンパンマン即座に断定!!
「見つけたぞ、バイキンマン。みんなが心待ちにしている給食を台無しにしてしまうなんて許せないぞ」
 許せなかったらどうするんですか、アンパンマン。
「アーンパーンチ!!」
 速攻、暴力!
 見事にヒットするものの、バイキンマンは不幸なことに空の彼方に吹っ飛ばされはしなかった。
「逃がさねぇぞ!」
 現れたはカレーパンマン。しょくぱんまんもやってきた。バイキンマンは瞬く間に取り囲まれてしまう。

 やがて、アンパンマン一党に多勢に無勢でメタメタのギタギタにバイキンマンがされるころ――
「バイキンマンって馬鹿ねぇ。しょくぱんまん様に勝てるわけないじゃない。さぁて飽きたから、おうちに帰ってお昼寝しようっと」
 バイキンマンを焚きつけた張本人は、悠々と帰路についていた。 
 
 ――
 ――
 他人に自分の頭をかじらせる設定とか、やなせ先生って本当に凄いと思う。
 超有名で、テレビを見ていると、よく耳にする詩。
 そのディープさとヘヴィさを紹介するのに、そのまま持ってきても芸がないと思ったので、詩の趣旨を踏まえた上で、ぬりかべなりに作ってみた。すると、もはや全く別の作品になってしまった、ような気がする。
 もちろん、一級の作家→ぬりかべだから、作品のグレードは格段に落ちている。元ネタの作品は何なのか、分かる人は分かる、かな?。

「無題」

辛いことを思い出してしまったら、生きている喜びを思い出して欲しい。
君はなぜ生まれたのだろう? なにをして生きているのだろう?
君自身の答えを見つけるまで、僕は君を死なせたくはない。

今を精一杯生きていれば、心は熱く燃え始める。
心熱くあれば、辛いときでも笑うことができるだろう。
ああ、誰よりもやさしい君は、みんなの夢を守るため生きている。

辛いことを思い出してしまったら、生きている喜びを思い出して欲しい。
君の幸せとはなんだろう? なにをして喜んでいるのだろう?
君自身の答えを見つけるまで、僕は君を死なせたくはない。

君よ、夢を忘れないで欲しい。
君よ、涙をこぼさないで欲しい。
そして君よ、誰よりも高く飛んで欲しい。
君よ、恐れてはいけない。
君が、みんなの希望の星となる。愛と勇気の象徴よ。
ああ、誰よりもやさしい君は、みんなの夢を守るため生きている。

時は過ぎ、大地や天空が消滅しても。
君自身の答えを見つけるまで、僕は君を死なせたくはない。
辛いことを思い出してしまったら、生きている喜びを思い出して欲しい。
ああ、誰よりもやさしい君は、みんなの夢を守るため生きている。

――
――
 元ネタの作品名、分かった?

ヒントにならないかもしれないけど、ぬりかべはこの作品の物的証拠無しに犯人を断定するところや、公的権力を用いずに私的制裁で物事を解決してしまうところとか、なにより小悪を退治するけど巨悪は可愛いから見逃すというところが、とても大好きです。
遙かデビューしたことで、新年から一層、萌え生活に拍車がかかってますが、実はそれだけではなかったり。ハウルと『西の善き魔女』(荻原規子著・中央公論新社)に甘萌え放浪中なのでした。

ハウルは以前の当番の時にもメロメロ告白をいたしましたが、西魔女は私の中で第2次萌え期を迎えたといえるでしょう。昨年秋に待望の文庫版が刊行されたことから、再びマイブームがやってきたのですが、最初の出合いは一昨年のこと。
その年は、ガンパレ→十二国記→荻原作品…と3大萌えをめぐり、昨年の春先にまたガンパレへと戻ったことで、今ここでの私が存在しているわけですが。
西魔女の前に、やはり荻原さんの“勾玉シリーズ”と呼ばれる3作品が何年も“読みたいリスト”の中に入ったままで、一昨年の晩秋にようやくそのシリーズを図書館で借りて読んだのですが、その時にこの作品の存在も知り、こちらも手に取ったのでした。

内容は乱暴にまとめると、
片田舎の荒野で育った少女が自分の出生の秘密を知ったことで、女王の後継者争いに巻き込まれ、果ては世界の成り立ちにまで関わってしまう、ほんのりSFテイストな欧風ファンタジー作品――といったところでしょうか。
勾玉シリーズが児童書なら、西魔女はライトノベルなのですが、けれども私が手にしたのは、1番最初に刊行された新書版ではなく、その後、出された愛蔵版みたいなハードカバー本。挿絵も、こちらはハウル原作本のイラストも手掛けていらっしゃる方なので、マンガちっくな画風ではなく。なので、装丁は児童書そのものという感じ。
そんな印象でもって読み始めましたので、そのギャップが更に萌え度を上げたような…。勾玉シリーズも萌え度の高い内容でしたが、西魔女は当初の予想を遥かに上回るに萌えツボが…!
ほんっと、メインカップルにめろめろにやられてしまいまして、私の中で指折りの「甘くてなんぼ」な愛しすぎるバカップル(であってほしいという私の願望)と認定されたのでした(笑)

もっとも、そんな萌えポイントはいちいち語らずとも、西魔女からガンパレに舞い戻った辺りに、サホ的萌え傾向の類似点が見られた、ということで。ゆにぽんにお越し下さる皆様なら、きっと予測範囲内のことと思いますので、ここでは敢えて割愛。そうでもしなきゃ終われないでしょうし(笑)

西魔女を読んでいると、キャラだとか設定への乙女な萌えだけではなく、物語の雰囲気に既視感というか、どこか懐かしい匂いを感じるようなところがあったのです。そこがまた私的にポイントが高いというか、感慨深いものがあったのですが、しばらくはその理由が判らなくて、とても不思議だったのです。
何かに似ているにしても、近年、見たり読んだりしたものなら、もっと具体的に思い出せそうですのに、いつも朧げな感覚しかなく…。
で、荻原さんのコメントなどを読んで、ようやく、それが、遠い昔に読んだ作品の残像イメージみたいなものから生じる感覚なのだろうという結論に至ったのでした。

実は私、幼い頃から読書は好きでしたけど、それって文字の少ない絵本限定でして(苦笑)小学校低学年の頃までは、字を読むのが億劫で絵本ばかり選んで読んでいたのですが、ある時、意を決して、ようやく、もう少し文字数もページ数もある本に挑戦したのです。
幸い、それが面白くて、絵本以外も楽しめるようになったのですが、そのきっかけとなった作品が、たまたま海外の児童書だったせいかもしれません。
それからというもの、子供向け海外名作全集、もしくは全集でなくても、やっぱり海外の児童文学を好んで図書室から借りていたのでした。
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズにハマっていた時は、目当ての本が貸出中で悔しい思いをしたことも多々でしたが、特に海外名作全集系は、あまり人気もなく借りやすかったりもしましたので(笑)
あと、『耳をすませば』みたく、誰も借りたことのないような本を借りるのが好きだったことも理由に挙げられるでしょう。全集作品を除けば、海外児童文学好きなら押さえていて当然な定番作品は、意外と読む機会が少なかったり。

この『西の善き魔女』という作品は、グリム童話やマザーグースなんかも、ちょこっとエッセンスに加えられているのですが、「西の善き魔女」というのも『オズの魔法使い』を意識なさっていたり、サブタイトルも昔の海外児童文学風に付けられたそうで。例えば「セラフィールドの少女」とか。
言われてみれば、西魔女って、題名やそこに描かれた情景などに、昔読んだ作品に通じるような雰囲気があって、その辺りに、私はどこか懐かしいような気分にさせられていたのでしょう。

ただ残念なことに、小学校の図書室で好んで読んだのが、赤い装丁の全集だったというのは今も記憶に鮮明なのですが、肝心の題名や内容は不明なものばかり。
一体、あの頃の私はどんな本を読んでいたのでしょうか。
辛うじて思い出せるのは『秘密の花園』とか『あしながおじさん』とか、とっても有名な作品だけ。これらは本としてもメジャーですけど、映画やアニメなど別媒体でも触れる機会に恵まれたので忘れずに済んだのでしょうね。
時々、妙に気になって、書店や図書館の児童コーナーで、全集をパラパラ調べたりするのですが、なかなか感動の再会とはいかず…。
今はマイナーな物語でも、仮にも全集に収められるような作品なら、まだネットなんかで検索をかけるのにも見当をつけやすいのですが、全集以外の本は偶然の再会に希望を託すくらいしか、もはや手立てはなさそうです。とはいえ、こんなに曖昧な記憶なので、再会していても気付かない可能性は大なのですが;;;

今やすっかり記憶の闇に埋もれてしまったことに、己の乏しい記憶力への情けなさと、一抹の淋しさを覚えますが、それでも、たとえ、題名も内容も思い出せず、形すら失ったイメージの残骸でしかなくても、そうやって懐かしく思えるような気持ちがある限り、多少なりとも、私の中で糧となって培われていると思いたいところです。いえ、何の役に立つかは不明なのですが、せっかく読んでも何も残ってないというのでは、少々不甲斐ない気がするので(笑)
願わくば、それを自分のネタにでも還元出来れば最良なのかもしれませんが、そこまでの力量はもちろん到底望めるべくもなく……(遠い目)

話が逸れつつありますが、そんなこんなで、西魔女という作品は、私にとって、どこかノスタルジックな感覚もかき立てられる物語なのですが、そんな、ごく私的な感覚を抜きにしても、この物語の外伝の内容は、主人公たちのもう戻れない幼き日々の優しい思い出、みたいなものでして。
それがまた私を追憶の彼方へと向かわせるのでした。昔読んだ作品を懐かしむうちに、自分自身の幼かった日々に思いをめぐらすような、そんな感じ。
本編とは少し趣を異にした、それこそ児童書っぽい印象の仕上がりですが、ほのぼのしつつも少し切な系な情感も漂う、とても好きなお話なのでした。

…と、まぁ、そんなもっともらしい理由もありますけど、何といっても激しく萌え悶える作品! 今後、目指すべき甘萌え技能獲得のための教材としても、とっても重宝しています(笑)

それにしても、レビューなんて大層なものではなく、あくまでサホ的西魔女語りをするつもりでしたが、何だか私の読書歴でも紐解くみたいな、とりとめない内容となってますね(苦笑)
昨年末の宣言(?)通り、新年から、なかなか萌えな日々を送っているサホです(笑)
その最たるきっかけは年頭のデパートでのこと。いやんな目に立て続けに遭い、滅多打ちにされた心地になりまして…。それでも何かセールで“戦利品”でも獲得していたら別だったのでしょうが、不愉快な気分のまま、手ぶらで帰宅するのはあまりにも悔しすぎ!

限りなく下がってしまったテンションを上げるためにも、その向かい側にあるパソコンショップへ向かったのでした。『遙かなる時空の中で』を手土産に帰ろうと決めたからです。かくなる上は禁断のネオロマ萌えしか私を癒せまい! と思いまして。

で、レジへ並ぼうとしたら、その前に『遙かなる時空の中で3』が平積みされているではありませんか! 実は年末、その店に行った身内にこれを買ってきてと頼んだのですが、その時は品切れ中だったようで。
――それを目にしてしまった瞬間にも、また、おかしなアドレナリンが一気に放出されたのでしょうねぇ。
今月は珍しく、既に別の新作ゲームを予約していたのですが、3も掴むと揚々としてお会計(笑)

こうして、見事ネオロマデビューの快挙を果たしたのでありました!!! ついでに初の1ヶ月にソフト3作買いもサホ史上初のこと。というか、年に1、2作買えば良い方のわたくしにはとっては、今年は稀に見るゲーム年となりそうな予感です(笑)

さてさて。
NHK大河『義経』影響もあって、遙か3から着手したいところでしたが、やはり、ここは第1作目から攻め落とすことに。
それにしても、おねーさまに布教された甲斐がありすぎというほどありまして(笑)
女の子好みのキャラクターに物語展開、そこに素晴らしい彩りを添えてくれる声!
途中まで読んだマンガ版や、今見ているアニメ版はどちらか言えば受動的な媒体であり、ゲームはある程度、自分の行動が反映されるからでしょうね。思い入れも萌え具合も全然違ってました。キャラの言動に、突っ伏したり、黄色い悲鳴がこぼれたり、私自身の反応も大忙しです(笑)

そんなネオロマ人気の実感もさることながら、『遙か』の平安京モデルという舞台設定がこれまた、予想以上に私を嬉しい気分にさせてくれたのでした。
知っているところが出てくると「おおっ♪」ですけど、ゲーム中、とある御神木が出てくるのですが、偶然にも今年の初詣で、ちょうど、その御神木を拝んだところだったりとか。プレイ後にお参りに行ってたら、自分の願い事よりも遙か萌えしか思い浮かばなかったことでしょう(笑)
熊本にお住まいのガンパレファンの方の気持ちってこんな感じなのでしょうか。萌えは郷土愛をも深めるようです。

京都舞台といえば、昨年のNHK大河ドラマ『新選組!』。涙しつつ見ていた割には、縁の場所とはあまり馴染みがないまま終わったのが心残りで。行ったことがないというよりは、意図して行ったことがないところが多かったり…。
恥を晒せば、一応じもてぃのはずですのに、池田屋騒動之址に気付いたのが、ここ数年の話だったり;
幕末不案内女サホは、池田屋と寺田屋とを混同しがちで、場所からして甚だしく勘違いしていたのです。以前からそこに石碑があるのは気付いてたのですが、今はパチンコ屋。なので、別段、注視することもなく通り過ぎておりまして…。
気付いた時はそりゃあもう白目青筋になりそうなくらいの衝撃でした……。

『遙か』にしても『新撰組』にしても、せっかく地元が舞台。『義経』も今はまだ京を舞台に展開中ですしね。寒さが緩んだら、ちょっとツアーでも組もうかなと目論み中ですが、それまでは家の中で萌え温まっていることでしょう(笑)

自戒 担当:もぞ

2005年1月22日
例えば貴方が不利益を被った「被害者」だとしよう。
それは単純にお金に変えられる被害ではなくて、加害者が容易に弁償出来るというものではないとする。
貴方はどのようにして、その被害から回復すれば良いのだろうか。

心の中は怒りと哀しみで溢れているだろう。
加害者を恨む気持ちに悩まされる日々を過ごすだろう。
「いつまで被害者ぶっているのだ」と心ない言葉を突きつけられて苦しむこともあるだろう。

だけれども。
突然のスーパーマンが出現して、貴方を被害から救い出してくれることはない。
やはり自分で立ち上がるしか道はないのだ。

もちろん手助けしてくれる第三者は存在する。
それは友人や家族という身近な人物であったり、裁判所や行政という組織だったり。
そういうものを利用して、私たちは自分の足で回復への一歩を踏み出すことを求められるのだ。

心が完全に回復しないことを理解しつつ、自分が受けた被害と向き合って金銭なり待遇なりで折り合いをつける人もいるだろう。
思想を軸に加害者を許すことで心の安寧を手に入れようとする人もいるだろう。
何にせよ、その道程は厳しいもので自分との戦いを強いられる。

加害者への恨みを消せない人だって存在する。
恨んで朽ちてしまう人もいる。
私たちは日頃から手助けをしてくれる組織の存在を知ることが大切なのではないかと思う。
問題は。
その恨みを飼い慣らすことが出来ず、加害者を取り巻く全ての者が平穏でいられなくなるように手を尽くす人がいるということだ。
被害を受けたことは事実だから、誰もが被害者である貴方に同情を寄せるだろう。
だからといって、同情してくれた人が貴方の人格に好意を持っているのだと信じるのは早計だ。
与えられる同情や同意に慢心して、貴方が加害者本人だけでなく、その人の家族や仕事を攻撃したとき、貴方は被害からの回復に向けた足場を失うことになる。

例えば貴方が加害者らのプライバシーを公開したとして。
加害者らが世間からの悪意を一斉に受けたとして。

貴方はその瞬間、とても幸せな気持ちになれるに違いない。
とても救われた気持ちになるだろうけれど。
貴方がそうやって陶酔しているその時に、貴方の大切な周りの人たちは複雑な感情を抱くのではないだろうか。
身近な誰かを苦しめてまで得られる幸福を果たして貴方は求めているのか。
そこまで行動出来る貴方は自分の足で歩けるはずだ。

貴方を救うのは貴方自身で。
その道筋は一つではない。
管理人の生態が透けて見えるぜ自由帳――ということで今回は生態日記的自由帳です。
一部の方々に人気のぬりかべ先生。
この自由帳がまだ「ぬりかべ生態日誌」だった頃をご存知ない方もいらっしゃるかと思いますので、まぁ彼のことを少しご紹介。

***

今を遡ること足かけ10年前(どんな表現だ)――まだ10代だったもぞは出逢ってしまったんですね、ぬりかべと。
場所はとある和風な道を探求するサークル部屋。
何故か上座にどどんと居座って「新人です♪」と発言する、どう考えても偉そうな人物…
ぬりかべの基本的な性質として挙げられるのは
?来るモノは鷲掴み、去るモノは追いすがる
?毎日がハイテンション
?ターゲットをロックオンしたら悪者になってもゲットする
?笑い声は「HAHAHA!」とアメコミちっく
?ネタになるなら土下座も平気
――何となく人となりは伝わったでしょうかね?
とにかくエネルギーの塊、しかもしつこい。
アクの強い人間を見慣れていて、それ相応の被害にも遭っていた私ですが、心境としては「また新手の敵が現れたか…」という感じ。

そのぬりかべが私に近付いてきたのは、はっきり言ってにらのせいです。
にらは当時、軽音系のサークルに所属してまして、彼女とコンタクトをとるには私を通すしか皆さん手段がないと思い込まれていたんですね。
「あのちっちゃくて可愛い子(娘ではなく子)を気に入ったっていうヤツがいるんだよー。紹介がてら一緒にデートして♪」
嫌です、にらを売る事なんて出来ません、彼女を気に入ったっていう男ですが私が彼を嫌いですので紹介出来ません――色々言い訳をしましたが全て却下。
というより言質を取られ、退路を塞がれ、持久戦に持ち込まれ、根負けして今日まで至るわけです(割愛しすぎ)

ぬりかべとにらもぞが密に過ごした時間は僅か半年でしたが、その半年は今思い返しても濃い日々でしたね…その日々があったからこそ、再びこうしてタッグを組むはめになるわけですが…

***

我ら3人の年末年始は、大体が体力消耗戦です。
今年は私が正月に早番勤務だったので企画そのものが潰れましたが、3人が身近にいるときに必ず発生するイベント――それが「新春初日の出参戦ツアー」です。
参戦?
そう、参戦です。
ツアーの趣旨は「初日の出を拝むこと」なのですが、開始時間は大晦日の夜10時くらい。
一番最初の年、10年前のツアー内容を説明しますと。
近所のマックが大晦日だけオールナイト営業をしてくださるので、まずは開店と同時に入店。
ここから近所の神社まで徒歩10分。
二年参りのためにまずは食欲を満たします。
11時30分を過ぎた頃に神社の開門を待つ為に列に並び、参詣を済ませ、おみくじをひいて、ファミレスへGO。
それから早朝までファミレスでねばり続け、その後JRで30分近く揺られて海に行き、初日の出を――見られるといいね♪というツアーでした。
え?海までは行きましたけど、初日の出には間に合いませんでしたね。
初日の出を見るまでのファミレスの時間がまさに戦場。
ファミレスで眠りこけたらどんな悪戯をされるか容易に想像出来てダウンは出来ず。
会話の内容も心温まらないモノばかり。
しかも初日の出には間に合わない(泣)

なので、にらもぞは出来るだけこのツアーに参戦したくはないんですよね。

2年前のツアー内容。
車で2時間かけてにらがもぞ宅へ到着。
それから寺社・神社の二年参りに出掛け、おみくじをひく。
そのまま国道を南下して徒然なるままに神社に立ち寄る。
一番最初のツアーで行った海沿いの神社にまで足を伸ばす。
途中ファミレスに寄り「もう帰りたい!」というにらもぞをぬりかべが上手いこと丸め込んで山頂から初日の出を見ることにする――つもりだったが、山の中腹あたりで日は昇り、その年も初日の出は見られなかった(泣)

そう、参戦してから一度も初日の出をこのメンツで見られたことがありません。
そして私たちが「来年は絶対行かない!」と言えば言うほど大喜びでプランを練って巻き込もうとするのがぬりかべです。
ネタになればそれでいいのか?
本当にぬりかべは初日の出を見る気があるのか?
いろいろ突っ込みたいところではあるけれど、泥沼にはまるのもイヤンなので私は毎年遠い目をしています。
今回はPS2ソフト「幕末恋華 新撰組」のゲームレビューです。

ネタばれ多数ありますので、ご了承下さい。
基本的ににら評価は甘いですが、たまに毒吐きもありますので、
特定キャラに思い入れのある方は回れ右を推奨いたします。。。

主人公は「女だてらに」剣で身を立てたいと、京都守護職である会津藩主松平容保公の義妹君の後押しにより新撰組の前身、壬生浪士組に入隊することになった少女。
彼女を迎えたのは実に個性的で魅力的な隊士の面々だった。
時代に翻弄されながら恋と剣に生きる主人公。
そして、訪れる切ない結末。
″本気の恋″を体験する恋愛アドベンチャー。

最初キャスティングとキャラデザを見たときにはのけぞりましたが・・・(笑)
やってみると違和感なかったどころか、それぞれ声優さんの個性と演技力をひしひしと感じることができました。

近藤 勇・・・森田一成
土方歳三・・・置鮎龍太郎
沖田総司・・・石田彰
斉藤 一・・・三木眞一郎
山南敬介・・・小西克幸
原田佐之介・・・中井和哉
永倉新八・・・森久保祥太郎
藤堂平助・・・松野太紀
山崎 烝・・・皆川純子
才谷梅太郎・・・櫻井孝宏
(敬称略)

手ごろな価格なので比較的手は出しやすいと思うのですが、きっぱり言ってしまうと立ち絵、スチルの出来はよくありません。
そして、このゲームをやる上でのポイントは、「主人公にどれだけ共感できるか、感情移入できるか」だと思います。

私は最初の期待が大きすぎたのと、主人公が外見中身ともに好みでなかったためにいまいち感情移入ができず、泣きどころで泣けませんでした。

さわりで「女だてらに」と書きましたが、これがストーリー展開上でのキーワードらしく、主人公は男所帯の中であくまで、「性」を持った一人の人間として奮闘し、またまわりにも「女性」として受け入れられているという現代でも中々ないような恵まれた環境にいます。
思春期の少女らしい甘えも見え隠れする主人公の成長物語。
それにどれだけついていけるかが肝でしょうか。

一方で、章立てされた会話パートで歴史の動きを登場人物の口からそれぞれの立場で語らせるといったつくりは
(当然史実がどうとか時代考証がどうとかは置かせてもらって;)
敷居が低く設定されていて、私のような歴史どオンチで歴史用語がでるだけで頭が痛くなるような人間でも受け入れやすかったです。

ところでプレイ当初、いかにも雑魚キャラデザにもかかわらず、芹沢鴨を落とせると信じきっていました。
なので、一周目は芹沢さんに猛アタックをかけてたんですよね。
まあ、結果はいわずもがな・・・
どこからか電波がきてたのかもしれません(笑)
しかし、意外だったのが武田観柳斎が割とかわいかったことです。外見でなく、しゃべり方とか性格が。ちゃんとねちっこくて鼻持ちならない感じだったんですけど、みょーにそれが癖になるキャラになってました。
逆に、伊東さんはもう少し締りのある口元にしてほしかったなぁ。あと着物もトーン柄とかじゃなくて・・・。声がよかっただけに残念。

最後に各キャラについて私的メモ。
激しくネタバレ、ご注意ください。

近藤 勇・・・もう、別格です森田さん♪やる気のない軟派なしゃべりも萌え。ですがやっぱり熱い方なんだと思いました。
土方歳三・・・悩める土方がツボ。近藤さんを思う土方とエンディングスチルに泣きそうになりました。
沖田総司・・・他キャラのエンディングに食い込み、そこで涙を誘う存在感。さすがです。石田さんの演技力には脱帽です。
斉藤 一・・・不思議キャラ。面白かったです。声をあててるのが三木さんということもあって妙な安心感がありました。一番「恋愛」部分を楽しめたキャラかもしれません。
山南敬介・・・一番最初に攻略したキャラ。声よし、性格よし。これで惚れないわけがない(私が)。
原田佐之介
永倉新八・・・まとめて語ちゃって申し訳ないですが、このコンビは切っても切り離せないです。宴席の掛け合いとか好き。それぞれにきちんとした信念をもったキャラとして描かれたいたと思います。
藤堂平助・・・全シナリオ中、主人公の幼さが一番目だってあいたたなぁ部分はありましたが、それを除けば良。後半のシュチュも好みでした。最初の方で攻略したせいか妙に思い入れがあります。
山崎 烝・・・まさか最後まで、と口あんぐりなお姉さまキャラ。美しかったです。
才谷梅太郎・・・怪しげなその方言は現地人ではないので、つっこみようもないのですが、それはそれでツボなお方。スチルも楽しいものが多かったです。
 ――あなたは、登場人物のなかで誰が一番「悪い」と思う?

 それぞれ主観を徹底させれば、価値観に基づき一番「悪い」人間が特定される。人によって意見は違うだろう。一方、ある程度の客観性を手放さなければ、善悪の判断は立場によって違うという意見も出てくるのではないかと思う。

 実は元々、「ナンジャモンジャ」は、ユキワタシの国際情勢の見方を再構築してもらおうという意図の元に、ぬりかべが即興で話してみた内容だった。
 ユキワタシの主張は、マスコミが垂れ流す情報と同じく、最も悪い部分が矛盾している。

 ――アメリカに追従しなくても、日本は資源加工国でいられるんだ。

 それが、そうはいかない。追従しないことは簡単に出来ても、貴重な資源の獲得は一筋縄ではいかないからだ。いくらお金を積み上げても資源は一定量以上買えない。「ナンジャモンジャ」のテーマの一つはそれだった。資源国は、国内問題や隣国との関係を気づかって、遠方の国に大量の資源を売却したりはしないものなのだ。
 現在、日本に大量の資源が流入しているのは、日本が資金を持っていて優れた加工技術を持っているからではなくて、アメリカの軍事力の傘があるからだ。そういう現状を考えれば「悪いアメリカに追従しなくても日本は正義を貫ける」と言う意見はそう簡単なことではないような気がする。

 日本は弱い。生き物に例えると、日本は本当にデリケートな生き物だ。ヒトは30種類以上の食物を食べるべきだとされているが、日本という国はそれ以上の種類の資源をしかも大量に食べ続けなければ生きることができない。食糧を止められれば、石油が入ってこなくなれば、銅を、金を、日本という国は死ぬか極端に衰弱してしまうだろう。
 アメリカが軍事力で恫喝してくれるから――、日本が必要とする資源を配分してくれるから――、一億二千万人もの人口が飢えることなく豊かに繁栄することができている。
 もし、アメリカの軍事力を否定するならば、日本独力の外交力もしくは軍事力によって、資源を供給出来る拠点を抑えなければならなくなる。つい半世紀前まで日本はそれを実践していたわけだ…。
 そういう面がある、ということ。一面に過ぎない。一面に過ぎないが虚実ではない。

 さて、小難しい国際問題はここまでにして。
 そこらへんで思ったわけだけど――話題は変わるけど
 人間を生かすための資源って何だろうね?
 
 動物を生かすのに一片の肉があればいい。
 与えれば、動物は少なくとも一日は生きていける。
 これは真理だ。しかし、人間はそうはいかないのだね。
 肉体は生存できるかもしれないが、それで人間が真に生きているとは言えないから。人間が生きていく為には食糧以外の何かが絶対に必要ということになる。

 ――それは何だろう?
 多分、人によって違う。
 財産か? 権力か? それとも愛か? 才能の煌めきか?
 当たり前のことだけど、この世に求めるべきものは、人によって違う。

 ――あなたはこの世で何を食べて生きているのだろう?

 何をどのくらい食べていれば自分は生きていけるのか、ぼんやりとでも分かっていることは、非常に重要なことだと思う。
 言い換えれば、自分が何のために生きているのか、理解しておくことだから。裏返して言えば、何のために死ねるのか、覚悟しておくことだから。
 それが出来ていなければ、この世の何かに飼われてしまうことになるのではないかと思ってしまう。または、死ぬまで戦い続けなければならなくなるのではないかと思ってしまう。

 ――あなたは誰のために生き、何のために死ねるのだろう?
 自分の力で肉を獲れない動物が、肉を与えられれば尻尾を振るのは当たり前のことで、安定して餌をくれる者の支配下に入るのは、生き抜いていくための自然の掟だ。それが秩序というものだ。
 ――人間も自分が何のために生きているのかを理解していなかったら
 不安に苛まれ、他人から安定して与えられるものを求め、それに満足し安住してしまうだろう。または、手に入らぬ幸福を求め、あてどない戦いと略奪の人生を送ることになるだろう。
 ――それを避けるには
 自分が食べなければならないなにかを漠然とでいいから認識し、もしそれが、他人との競争によってしか得られないものだったり、不当な手段にでも訴えなければ到底得られないものだったり、言ってしまえば、貴方に好意を持つ他人を傷つけなければ得られないものだったら、スッパリとあきらめてしまうことだろうね。
 死ねということではない。
 そんなことで生きている喜びを見いだすなよ、ということ。
 長い時間をかけて、もっと違う何か、他人から奪わなくても得られる、固定的で、時間が経っても失われない何かを見つけるべきだと思う。

 戦争はとっても悲しいことなのだから。

 ――あなたは誰のために生き、何のために死ねますか?
 正月明け早々、ユキワタシにまた、国際問題関係でからまれて、そのときに、ぬりかべが即興で話した大人の童話「ナンジャモンジャ」。もし、お時間があればお付き合い下さいな。

「ナンジャモンジャ」

 あなたの家の庭から、物質「ナンジャモンジャ」が出てきたとしよう。ジャンジャン湧いて出て、庭には池のようなものが出来たとしよう。
 なにより重要なことに、このナンジャモンジャは便利だとする。
 どこをどうとは言えないが、とにかく便利。食べると不治の病が治るかもしれない。頭も良くなるかもしれない。鉄よりも固い合金をつくれるかもしれないし、永久に発電できる原料になるかもしれない。
 とてもとても素晴らしいものだったので、あなたは喜んだ。これで幸せになれる、もしくは、あなたの大事な人を幸せにできる、と心の底から喜んだ。

 しかし、問題があった。
 ナンジャモンジャはあなたの家からしか出てこないのだ。まぁまぁの量は出てくるのだが、世界中の人に行き渡るほどは出てこなかった。
 近所の人はお金を出してもいいから、少しでいいから頂戴よ、と言ってあなたの家にやって来る。あなたはこころよくタダで渡していたものの、次の日は隣町から、その次はまた隣町から、やってくる人の数がドンドン増えていって困ってしまう。
 あなたは考えた末、やはりお金をもらうことにした。
 やってくる人の数と湧いて出てくるナンジャモンジャの量を考えて、適当な料金をつけると、やってくる人も少なくなった。本当に欲しい人だけ、ナンジャモンジャを求めてやってくるようになった。大成功だった。

 そうすると、やがて噂を聞きつけて、遠い遠い国から客人がやってきた。その人はニポンという名の外国人だった。
「どんなに高くてもいいです。全部売って下さい」
 ニポンさんは礼儀正しくそう言った。ニポンさんは商人で、ナンジャモンジャをもっと遠い外国に持って行ったり、加工して使いやすいようにして、お金を儲けたいと思っているのだそうだった。
 あなたは相当考えた末、半分を自分と近所の人達のために残して、残りの半分を高値でニポンさんに売ってしまうことにした。ニポンさんはそれで構わないと言い、ナンジャモンジャと引き換えに毎日キチンキチンとお金を払ってくれた。あなたは大金持ちになることができた。仲良くなったニポンさんが言うことには、ニポンさんは若い頃は乱暴者だったという。しかし、改心して仕事に励み立派な商人になったということだった。

 しかし、また問題が起こる。
 あなたの近所の人で、ナンジャモンジャを手に入れられなくなった人達があなたの悪口を言い始めたのだ。そればかりか、あなたの家に忍び込んでナンジャモンジャを盗んでいく人達も出てきた。困ったあなたは、ニポンさんからもらったお金を使って、ボディガードをたくさん雇うことにした。そして、そればかりではなく、近所の人が喜んでくれるように図書館を作ったり公園をつくったりしてあげた。そのうえ、病気で働けない人にはお金をあげ、仕事のない人には仕事をつくってあげた。そこまですると、近所の人達はあなたのことを本当に立派な人だと褒めちぎり、悪いことをしなくなった。
 やっと、あなたは本当に幸せになったかに見えた。

 しかし、そううまくはいかなかった。遠い遠い北の国からまた客人が来たのだ。あなたのボディガードよりはるかにたくさんの強そうな部下を連れてきたその客人は、名乗りもせずに、あなたに拳銃を突きつけて、ナンジャモンジャを全てよこせと言ってきた。
「ニポンだけにいい思いをさせなくていいだろう。おれたちにもナンジャモンジャをよこせ」
 どうやら、ニポンさんが手広く世界中でナンジャモンジャを売りさばいたものだから、噂を聞きつけてやってきたらしい。あなたは仕方なく、今日湧き出てきたナンジャモンジャを全て渡した。しかし、北からの客人は1円も渡そうとしない。
「おれたちの国は貧乏で、子供は飢えて死んでいる。お前達は豊かだ、おれたちも豊かになりたい。命があっただけでもありがたいと思え」
 悔しくて仕方ないあなたに、北の国からやってきた客人は、また来るからな、と言って去って行ってしまった。
 しばらくして、ニポンさんが心配してあなたのところにやってきた。
 大丈夫ですか、と言うニポンさんに、あなたはお願いした。
「ニポンさんの力で、あの盗賊みたいな奴をやっつけることはできませんか?」
 残念ながらできない、二度と喧嘩をしたくないから、とニポンさんは言った。
 あなたは、元はと言えばニポンさんがナンジャモンジャを有名にして、大儲けしようとしたことが原因なのに、と怒りを覚えた。ニポンさんは、そんなあなたを見て、ためいきをつきながら言った。
「分かりました。わたしは助けることはできませんが、いい知り合いを知っています。連れてきましょう」
 ニポンさんが連れてきたのは、腕の太い凄い怖そうな大男だった。地を覆うほどのたくさんの部下を引き連れてやってきた。アメリン、という名の外国人だった。
 あなたはこれで北からの客人が来ても大丈夫だと思って安心した。何よりこの人数を見れば、北からの客人も尻尾を巻いて去ってゆくだろうと思った。しかし、意外なことをアメリンは言った。
「待つのは不利だ」
 あなたは、これだけの人数とこれだけの警備をしているのだから大丈夫じゃないですかと言ってみた。しかし、アメリンは首を横に振る。
「万が一ということがある。おれは部下達が何より可愛い。彼らに無駄死にはさせたくない。だから、先制攻撃をすることにしよう」
 あなたが止めるまもなく、アメリンは部下達を引き連れて北の国に向かい、北の国の人達をこてんぱんにやっつけてしまった。こてんぱんにされた人のなかには、ナンジャモンジャを奪っていったこととは無関係の人達もいた。しかし、アメリンは容赦しなかった。誰彼かまわずやっつけて、ついにはあなたに拳銃を突きつけた首領を捕らえて、あなたのまえに連れてきてしまった。
「すいませんでした。どうか許して下さい」
 北の国の首領は、深々と頭を下げる。それを見てあなたは、逆に気の毒そうに思ってしまった。
 しかし、首領は頭を上げると泣きながらあなたに言った。
「でもおれたちの国は貧しいんです。仕方なかったんです。子供が飢えて死んでしまうんです。こんなことをしてしまった後で本当に不躾なお願いですが、よろしかったら、おれたちの国にナンジャモンジャを分けていただけませんでしょうか?」
 あなたは驚いて、それはできないと言った。奪われこそしないが、それでは同じことではないか、と思った。
「いいじゃないか。くれてやれよ」
 アメリンはぶっきらぼうに言う。
「3割ほどナンジャモンジャをくれてやれ。それで彼らは助かるんだから」
 あなたは驚き、怒り、呆れてアメリンを見つめた。
「そして、悪いがそれだけじゃない。命をかけて戦った報酬として、ナンジャモンジャをさらにおれたちが3割もらわなければならない」
 アメリンがその気になれば、今度はあなたの方がやっつけられてしまう。
 あなたは何も言えなかった。
「そして、3割を適正な値段でニポンに売ってやれ」
 そんな、とあなたは思った。そのとおりにすれば、あなたの手元に自由になるナンジャモンジャは1割しか残らないことになってしまう。
 あなたは頭を抱えた。
 ああ、何でこんなことになってしまったのだろう…。

 ――さて、物語はここでおしまい。
 あなたは、登場人物のなかで誰が一番「悪い」と思う?
 新年明けましておめでとうございます。
 そろそろ正月気分から這い出さないといけない時間帯。いっちょ抱負でも語ろう。

 昨年は、いろいろな人の話を聞き、考えさせられた一年だった。
 人間なんてちっぽけな存在で、この世で変えられる部分など何もないのではないのか、と思うくらい打ちのめされたこともあった。例えば、ユキワタシとか。

 物が溢れるこの時代、それにも関わらず苦しみを背負っている人達はいるわけで、当然ぬりかべの周りにも数え切れないほどいるわけだ。彼らは物的に困っているわけではなくて、ひとえに己の選択した行動や思考で苦しんでいる。

 彼らと話していて思うのだ。
「なんでそんな風に考えてしまうの?」 と。
 まるで磁石の同極同士のように、彼らはことごとく世界と反発する。
 彼ら自身の思考が世界を拒絶させているように思える。世界が彼らを拒絶しているわけでは決してない。
 彼らは、世界を醜く凶暴なものに捉える。その一方、自分を哀れで正当で美しいものに飾ってしまう。
 そこで、世界はそんな形はしていないよ、あなたもそんな姿をしていないよ、と言ってみたとすると、間違いなく逆上されるか、ひきこもられてしまう。
 どうすればいいのだろうか。

 どうもしなくていいじゃないか、ほっておけよ。――分かる。それが最も一般的な対処方法であり、現在の時間軸に置いての彼ら自身の価値観のなかでは、「幸せ」に最も近いリアクションであることは分かる。しかも、自分の幸せは自分で掴めと言う現代社会で重きを置かれている価値観に合致するのも分かる。分かるのだけど――

 もう少しだけ、ほんの少しだけ、何とかならないものだろうかと思う。
 個人の価値観は大事だ。個性の多様化も大事だ。だけど、個人の価値観だけでは計れないものもある以上、個人の価値観だけを拠って立つところにして、世界を必要以上に単純化、矮小化させてしまうことは危険なことだ。
 すっぽりと大きく包むように、幾重にも折り重なる薄絹のように、多重的に揺らぎを入れて世界を認識して欲しいと思うのは、贅沢なことだろうか。

 …というわけで、今年のぬりかべの抱負は「多重的な思考」。
 多重的な思考を模索して研究して、ユキワタシの単純思考に同等に張り合いたい。そうできたら、いいなぁと思っている。
 何のことだかよく分からない? はい、多重的な思考とは――

 一つ例題を出してみる。
「何か小難しいことを人に説明する場合、
 結論を先に話してから過程を話した方がいいだろうか?。
 それとも、過程を話してから結論を話した方がいいだろうか?」
 よく聞く話だろうけども、あなたなら、どう答えるか?――

さて、答えは言うまでもない。
 結論から先に話した方が分かる相手ならば結論から。過程からの方が分かる相手ならば過程から、話せばいい。つまり、相手によって変わる。それは当たり前のことだと思う。おいおいそりゃないだろう、いたずらクイズかよ、と思うかもしれないが、現実はこうなのだとぬりかべは思う。○か×の二者択一など世界には滅多に存在しないから。
 おうおうにして△がある。
 ゆらぎがあるのだ。認めなければならない。決めつけてはいけない。でなければ、息が詰まる。すでにぬりかべがこうして断言口調で話していることで息が詰まりかけている人がいる。
 息が詰まれば人間は生きられない。そんな空気を醸し出す人間のまわりで、他の人間が呼吸することは簡単ではない。だから、そんな人間には、人間が寄りつくことはない。結果、特定の人間が必然的に孤立する。孤立すれば、孤立を愛せなければ生きられなくなる。孤立を愛することは難しい、愛したと自分は思っていても孤立の方が苛むからだ、毎日、毎日、不意に心を引き裂くからだ、誰もいない部屋の中で叫ばずにはいられなくなる、自分を責めるのに限界があるために身近なものから責めざる得なくなる――本当は大切にしたいのに。自分も他人も――。
 だから、まだ自分で自分を変える方が安全だ。
 しかし、簡単ではない。
 今まで孤立して生きて来られたのだという自負心。そして底流に潜む、孤立させられたという復讐心、それが邪魔をして人間は変わることが出来ない…。

 それを取り払って欲しいと望む。別にあなたのためにそうして欲しいと言うわけではなくて、あなたの周りにいるあなたが大切にしたいと望んでいる人たちのために、そうして欲しいと切に願う――。
 
 ああ、訳が分からなくなってきた…。
 こんなところで、ぬりかべの抱負はおしまい。

 待っていてね、ユキワタシ。ハハハハハ。
<新年の御挨拶>

新年明けましておめでとうございます。
ゆにおんぽんた管理人(の一人)もぞが、管理人一同を代表して新年の御挨拶というか昨年の総括と今年の抱負を表明したいと思います。

昨年の4月26日に「ぬりかべ」「にら」「もぞ」の三人でサイト運営を開始して8ヶ月が経過致しました。
当初、幣サイトは「オリジナル小説(ぬりかべ)」と「ブックレビュー(にら)」のサイトとして開設され、編集人としての私が「色物担当(えっ?)」としてイラストを落書いていく体制をとっておりました。
そんなサイトがガンパレサイトに傾倒するまでに要した時間はわずか一週間。
――私たち、最初から行き当たりばったり且つ無節操であったようです。

ガンパレファンサイト様で出会った「サホ」を口説き落として管理人の一人になってもらったのは6月のこと。
とあるBBSで「SSを書いてみたいとは思う」というカキコを見た私は、何とかサホに表現する場を提供出来ないかという気持ちと、彼女の作品を読んでみたいという好奇心から行動を開始。
BBSで口説き、メールで口説き、言質をとっては外堀を埋めていくという、サホの情に訴える手法を遂行し、ついに彼女を管理人の一人に加えることに成功しました。

そして7月12日、サイト名を「ゆにおんぽんた」に変更。
変更と同時に、サイトデザインをにらが担当することになりました。
管理人が4人になった記念に週番自由帳を開始。

10月29日。
ネオロマ系サイト「BLacK NoN-SuGER」と銀魂サイト「ヒマチ」を「ゆにおんぽんた」に統合。
お絵かきBBSを導入。

――というわけで、ただいま「ゆにおんぽんた」はごった煮サイトになっております。

今年は。
もっと交流の出来るサイトを目指したいと思います。
うーん、交流というか。
文章を作ることを軸にした参画型の企画が出来るとよいかなぁと思ったりしてます。
そういうわけで、インプット作業をもっと増やしていこうかと決意しました。(もぞさんが)
オエビ絵、今年もたくさん描けると良いです。
何よりゆにぽんに来て下さる皆さまが楽しんでくださるような運営を心がけたいと思ってますが、これが何より難しいですね。

今年もどうぞよろしくお願い致します。
管理人一同、皆さまのお越しを心待ちにしておりますですよ♪

2005年1月1日
ゆにおんぽんた
ゆにぽんにお越しの皆様は、少なくとも置いてあるコンテンツのどれかをお好きな方だと思うのですが、サホにとって、ファンサイト様にお邪魔することも、ましてや、その管理人の一員として迎え入れられる日が来ようなどとは夢にも思わないことでした。
と、いうのも、ROMっ子だからとか、それよりもっと以前のこと。実はわたくし、何かに「好き」と感じても、それを極めようとはなかなか思わないからです。それは萌えな世界(笑)に限らず、全く別ジャンル、様々な分野で興味のある物事全般においてでもありますが。

「萌え」の定義は人それぞれだと思いますが、サホ的には「萌え」は単なる「好き」以上のイメージでしょうか。似て非なるもの、何かしら特別な突き抜けた想いも入り混じるような、そんな感じ? 強いてたとえるなら、ちょっと違いますけど“Like”と“Love”の差異のようなもの??? 漠然とした感覚的すぎなもので自分でも上手く言えませんけど。
とにかく、私としましては、出来ることなら、たとえ好きは好きでもそれ以上「萌え」は認めたくはなくて、しばらく、その世界を楽しめれば満足――いえ、それで満足だと思うようにしている、と言った方が正しいですね。それ以上、深く突っ走ることを躊躇い、自らブレーキをかける――そんな楽しみ方をしていたのです。

それは、ビンボーだった学生時代は、趣味にお金がかけられず断念せざるを得なかったりだとか、社会人になり、それなりに自由になるお金が出来ても、前々回お話した理由だったり。
けれども、結局のところは、あまりひとつの世界にのめり込んでしまうことで、犠牲とまでは言わなくとも、他のことが後回しにされたり、横に置かれたりしそうな気がして。好きは好きでも嗜む程度で止めておくのが自分にはちょうど良いように思っていたのです。その世界しかなくなりそうな自分が怖かったからでもあるのでしょう。

それに、基本的には、ちょっぴり隠れオタクで通しているわけですが、仮に、家でひっそり孤独にその道の真髄まで突き進むにしても、そもそも、サホはかなりの笑い上戸な興奮体質であり、その声質というのがこれまた、とっても周囲に響き渡ってしまうものらしく!!(号泣)なので、私が何かにハマるというのは、家族に非常に嫌がられることでもあるのです。メジャーどころ(例えば芸能人だったりアスリートだったり)では家族相手に得々とその良さを語ったりもしますしね! まさに傍迷惑。そりゃ嫌がられますって;

そういうわけで、趣味は趣味として「ほどほど」に、冷静な自分を保っていたいのが私の意向…というか家族の願いでもあったわけですが、それを振り切ってまでも私を揺り動かしてしまったのがガンパレでした。
そして、それをきっかけに萌え世界へと旅立ってしまったのです(笑)そう、それまでは「萌え」という言葉は私の辞書にはあってはならぬ禁断の言葉でしたのに!(笑)
以前はメディアミックス作品でも、そのメインとなる媒体にしか手を出さないように極力己を戒めてましたし、ネットはそれこそキリがなくなるので厳禁でした。なのに、ガンパレ萌えを求め彷徨い(笑)気付けば、ファンサイトメンバーの端くれとして二次創作にまで手を出している自分がいるのですよ! 何たる変化!!

「好きこそ物の上手なれ」とは言いますが、上手になれるかどうかはさておき、もぞ・にらおねーさま指導教育、はたまた洗脳(!?)の賜物で、この解き放たれた今の萌え心に忠実な生活はほんと楽しくて(笑)最近では、萌え力活用技能のレベルも上がったようで、以前は、物語が好きでなければ特定のキャラにハマるということはほとんどなかったのですが、キャラ萌え優先技能までも獲得してしまいました!!(笑)果ては「萌え」という甘い麻薬のようなささやきに導かれ、わたくし的最後の禁断、ネオロマ世界への扉の解禁ももう目前の模様(笑)

そんなこんなで、サホにとっては今年は革命的な1年。ですが、本人はいつも、こっそりちょこっと興じている程度の隠れまにあ属性、最高レベル10だったら、せいぜいレベル3くらいのつもりでいますのに、不思議と周囲からは実際以上にディープに誤解されがちなのですよねぇ。なぜゆえ?
堅気世界(笑)の友人にも、同人世界を享受している友人にも、私は同人活動しているとか、イベントには勇んで馳せ参じているものと(←それもコスプレ付きで)思われていたり。どちらも無縁で、マンガ喫茶にも行ったことないよと答えたら仰天されましたっけ。
本(マンガ含む)もアニメもゲームも「嗜む」程度ならば割と幅広いジャンル何でもござれ状態でしたし、同人話も面白く聞いていたからでしょうか。

なので、ひょっとしたら、周りからすると、これは革新的出来事とは微塵すらも思われないかも? というか、疑いの目を向けられそう?! もしくは「よっぽど無自覚だったのね」とばかりに白い目で見られるとか(苦笑)
思い返せば「嗜む」とか「ほどほど」という割には、こうして妄想逞しく二次創作に着手した以外は、興奮度合いは今と以前ではさして変わりないような気も無きにしも非ず…。そう、ただそこに「萌え」という言葉が使われなかっただけで…。かの職場にいた期間ですら、激減はしてましたけど、完全に隔絶されていたわけではなかったですし。。。
……詰まるところ、それまでの私は、よくある、恋を恋とは認めたくないだけ、というものと同じだったのでしょうか。あはは〜;

ともあれ、来年は酉年ですしね。心ゆくままに、ますます萌え世界へと羽ばたきたいものです(笑)
皆様も更なるステキ世界と多くめぐりあって下さいね。
それでは良いお年を。来年も宜しくお願い申し上げますvvv

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